15年ぶりに訪れたローマ、
永遠の都だけあって、変わらぬものばかりだが その中のひとつが車の停め方だった。 慣れないうちは走るだけでも大変、 駐車することは至難の業である。 真ん中に細い走行レーンを残し 両側は一晩中駐車していた車でびっしりと埋め尽くされている。 迷惑がかからぬ限りはお構いなしの駐車スタイル。 下の画像に写っている車はすべて駐車しているもので 一時停車している車は1台もない。 縦列駐車のわずかなスペースにお尻から駐車している。 説明が難しいが、 右列にはみ出しているシルバーグレーの車の右に もう1台車が駐車している。 最も右側の車はシルバーグレーの車にふさがれて 身動きが取れないように思える。 しかし、何でもありのイタリア、 ちゃんと脱出の算段はされているのだ。 はみ出して駐車しているシルバーグレーの車のドアはロックされていない。 その右側の車を出そうとするときには、 ドライバーがシルバーグレーの車のドアを開け 手押しで自分の車が脱出スペースを確保できるまで手押しで動かしていく。 全く変わっていないことに何故か嬉しくなった。 #
by shige_keura
| 2019-12-02 13:06
| 旅
ここはヴェネチア広場にほど近くにあるコロンナ宮殿。
一般公開は土曜日の午前中に限るといった面倒なところだ。 しかし、映画をこよなく愛する者として ローマ見物の中でこの場所は欠かせない。 何故ならば不朽の名作「ローマの休日」のラスト、 アン王女の記者会見の撮影が行われた場所がここなのだ。 オードリー・ヘップバーン扮するアン王女、 お相手のブラッドレー記者にグレゴリー・ペッグ。 わずか1日のローマの休日を過ごした後、 それぞれが後ろ髪を引かれる思いを断ち切り 新たな決意で自分の住む世界に帰っていく。 明けて翌日の記者会見、 目の前に並ぶ記者たちの中にブラッドレーを認めたアン王女。 驚きと戸惑いそして昨日の「ローマの休日」 様々な想いがが交叉する中で、ある新聞記者から質問の手が挙がる。 「今回の欧州歴訪で最も印象的な場所はどこでしょうか?」 かねて用意された公式コメントでは特定の国、場所は言わないことだったのだが、 アン王女は意を決したように自分の気持ちをはっきりと口に出す。 ”Rome! By all means Rome” 「ローマです、何といってもローマです。 今回のローマ訪問は私にとって一生忘れられないものとなりましょう」。 そのあと、これまた、予定外の行動、 居並ぶ記者たちとの握手を終え 王女は宮殿の奥に消えていった。 アン王女とブラッドレー記者が永遠に別世界の人となった瞬間である。 万感の想いをこめて一歩一歩宮殿を後にする。 グレゴリー・ペッグ、オードリー・ヘップバーン 皆居なくなってしまった。 名画の場面場面を思い浮かべながら宮殿を後にした。 #
by shige_keura
| 2019-12-01 17:31
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ここはフォロ・ロマーノ近くのチルコ・マッシモ、
グラウンドに下りてみて実感するスケールの大きさ! 最大(マッシモ)のサーキット(チルコ)。 時には野獣対人間という集団の戦闘も行われ、 当時のローマ市民は手に汗を握りスペクタクルに見入ったという。 カエサル(シーザー)時代に観客席の前に 観客から野獣を守るための幅3メートルの柵が設けられ、 初代ローマ皇帝、アウグストゥスは皇帝観覧席の設置を命じた。 収容人員30万人、競技場の全長600メートル、幅200メートル、 とんでもないスケールの競技場となった。 その大きさは、画像の右上に見えている コロッセオ(円形闘技場)と比べても明らかである。 1959年の壮大な歴史劇映画「ベン・ハ―」のクライマックス 戦車競走の場面によってである。 帝政時代に生まれたユダヤ人貴族、ベン・ハ―(チャールトン・ヘストン演)の波乱の一生と イエス・キリストの生涯を交差させる212分に渡る重厚な作品である。 この年に獲得したアカデミー11部門受賞は 今でも最多タイ記録として歴史に残っている。 戦車競走の場面の監修・監督を任されたのがエンゾー・ムスメチ。 当時のイタリアでは知らない人は居ないほどのフェンシングの達人で ハリウッド活劇の指導を数多く任された男だ。 そして、その子供がジュリア―ノ・ムスメチ・グレコ イタリア時代の我が友、シチリアの名門の出に相応しく イタリアの良い意味での伊達男の香りを発散させていた男だ。 チルコ・マッシモの散歩を満喫した。 #
by shige_keura
| 2019-11-25 18:41
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古代ローマは七つの丘で構成されていたが
その中心がカンピドリオであり、今でも市庁舎がそびえている。 歩くとほどなく見えてくるのがローマ最大規模を誇ったマルチェッロ劇場だ。 完成を見ることなくブルータスに暗殺されてしまった。 その後、BC13年、初代ローマ皇帝のアウグストゥスによって完成したのだが、 マルチェッロの名前は若くしてこの世を去った皇帝の甥に捧げられたものだ。 直径111メートル、3階建て、15,000人の収容人員、 現在の歌舞伎座の収容人員が1,900名であることから見ても 途方もなく大きな劇場であることが推察される。 その後、一時的には要塞として活用されたこともあった。 そしてルネッサンス時期に入ると 最上階は総合住宅、すなわち日本風に言うとマンションとなった。 劇場の真上に住む、なんと心地よ良いものだったことだろう。 その多くは職人、芸術家であったりすると言う話だが この素晴らしい環境で、創造力が次々と湧いてくるに違いない。 築2,000年、日当たり良し、 眺望はコロッセオにフォロロマーノ なんとも贅沢なことであることか。 #
by shige_keura
| 2019-11-23 13:27
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イタリアで水の都と言えば「ヴェニス」となるが
ローマも水の豊かな都である。 それは、紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて ローマ市民への水の供給の為に作られたローマ水道の恩恵に因るものだ。 今でも、町のいたるところに水道の蛇口があり 清冽な水が絶えずほとばしっている。 水と言えば噴水となろうが ローマには一見に値する数々の噴水彫刻が見られる。 中でも、16世紀バロックの巨匠と言われた ジャン・ロレンッオ・ベルリー二は 建築、モニュメントのほか数々の噴水傑作を残している。 マジェスティックホテルからほど近くのバルベリーニ広場には、 バルベリーニ家の為に二つの噴水を造った。 イルカに支えらた貝殻の上に座ったトリトーネ(海神)が ほら貝から噴水を噴出している「トリトーネの噴水」。 常時、観光客が取り巻いている「バルカッチャ(舟)の噴水」。 4人の組み合わせの妙と筋肉逞しい人物像にはただただ圧倒される。 このナボナ広場はローマ人の憩いの場所なのだが 今は訪れる観光客に押され気味である。 「天使と悪魔」にも事件を巡る重要な場所として紹介されている。 共和国広場(ピアッザ・リパブリカ)の「ナイアデイの泉」等々 噴水めぐりも興味尽きないが、 時間がいくらあっても足りないのが玉に傷。 #
by shige_keura
| 2019-11-22 22:30
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