先般、92歳で世を去った
市川昆監督唯一の 未公開映画が公開されている。 この映画の生い立ち、経歴は 作品の内容同様、 若干謎めいている。 製作は1993年、 日本初のハイビジョンドラマとして フジテレビが手掛けたものだ。 同年のヴェネチア映画祭 翌年のロッテルダム映画祭に出品 国際的には華々しいスタートを切った。 ところが、日本では 1995年、BS局でたった一回放映されたのみ、 その後お蔵入りとなってしまった。 題名は「その木戸を通って」。 サブタイトルが”FUSA” このローマ字のタイトルに この映画の国際映画祭出品の歴史が見て取れる。 私がこの映画を見た理由、 それは幾つかある。 市川昆監督の未公開作品という事。 新聞の評価が極めて高いという事。 しかし、最大の理由は 日本が生んだはじめてのマルチタレント、 フランキー堺が出演している事だ。 ”シティ・スリッカーズ”を率いて 戦後のモダンジャズをリードしたドラマー。 桂文楽の弟子として 桂文昇の名を持つ落語家。 大阪芸術大学 舞台芸術学科学部長。 私費を投じ謎解明に挑んだ 東洲斎写楽研究家。 中で、我々が最も親しんだのが 映画俳優としてのフランキー堺だった。 彼は当時キラ星の如く輝いていた 数多の名優の中でも 一際異彩を放っていた。 東宝が当時得意としていた ”駅前シリーズ”、”社長シリーズ”。 名優達、森繁久弥、伴淳三郎、三木のり平等をも 圧倒していたのは フランキーの持つ 一種独特の”バタ臭さ”にあったのかもしれない。 とは言え、そのバタ臭さは トニー谷が持っていたような エキセントリックを伴なった 胡散臭さの匂いはなかった。 そして、彼の演技が全開となったのが 故川島雄三監督の傑作「幕末太陽伝」! 古典落語の居残り佐平次を演じた フランキーの演技は 伝説に残るのがもっともと思えるほどの凄さだった。 彼は1995年、 念願の「写楽」を完成させ その翌年67歳で世を去ってしまった。 「その木戸を通って」は その直前の貴重な作品である。 そして、期待は裏切られなかった。 一見頑固者で堅物 実は酸いも甘いも噛み分けた 中老に扮したフランキー。 彼の出演がこの映画の出来を 支えている事は間違いないことである。 それは、今から50年近く前、 高校時代のことなのだが。 ある日の校庭、 西日の照りつける放課後のひと時だった。 砂場の後ろに有る鉄棒に いつもは居る筈のない大人が二人 ぶら下がっていた。 誰だろう????? その二人は中学、高校の大先輩 フランキー堺さんと小澤昭一さんだった。 二人のそのときの 懐かしそうな、面映そうな笑顔は 素晴らしく魅力的だった。 「その木戸を通って」、 この映画を見たならば 誰しもがフランキー・堺さんの類稀なる才能に 感嘆するはずである。
by shige_keura
| 2008-11-15 18:17
| 観
|
| ||||||
ファン申請 |
||