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世紀の大トレード -1-
沖縄見聞録はまだまだ続くが
一休みして別の話題を取り上げたい。

事の発端は
かつてプロ野球界を代表する強打者
山内一弘氏が2月2日亡くなられたことだ。

1963年暮のストーブリーグ、
話題を一身に集めたのが
当時毎日の強打者山内選手と
阪神のエース小山選手のトレードだった。
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プロ野球の長い歴史に在って
まさに空前絶後、最大のトレードであった事は間違いない。

何しろ山内さんは
パリーグの人気球団
毎日オリオンズが売り物の
ミサイル打線の中核を担っていた。
c0135543_85633.jpg

一方の小山さんは
投手力が売りの阪神タイガースにあって
村山投手と並ぶ2枚看板の一人だったのだ。
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両チームにとって
絶対に手離したくない選手の筆頭、
それが、この二人だ。

それが何故に
ありえぬようなことが起こったのか?

その結果、どちらの球団が得をして
どちらの選手がより期待に応えたのか?

調べてみると
これがなかなかに面白い。




当時の両チームの台所事情は
概ね次の通りだ。

先ずは、阪神だが
1962年見事にセリーグ・ペナントを制するも
その貧打は目を覆うばかりだった。

何しろチーム打率2割2分3厘、
優勝チームの打線とは思えぬ貧弱打線だ。

時の監督、古狸の藤本さんはこうぼやいたと言う。

「甲子園には貧打の神様が取りついとるわ。
 どうやって厄払いするかのう」

一方の毎日オリオンズである。

1960年、自慢のミサイル打線を引提げて
ペナントを制し日本シリーズに向った。

相手は大洋ホエールズ。

圧倒的有利を伝えれながら
全て1点差の4連敗!

ミサイルの毎日にとって
”打線は水もの”を
厭というほど味わされたシリーズとなった。

更に1962年
二人の成績は何故か急降下した。

山内は2割8分3厘と
珍しく3割を割り込んでしまった。

20勝を当てにされた小山の勝ち星は
わずか14勝、敗戦も14敗を数え
並みの投手に成り下がっていた。

こうして世紀の大トレードの
マグマが地下で密かに膨らんでいったのである。

しかし、それにしても
何で二人が
この時期にと思えることもあるのだ。

その辺の事情と
トレード後の損得は明日以降に続く、
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by shige_keura | 2009-02-12 08:59 | スポーツ | Comments(0)
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