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世紀の大トレード -3-
トレードが成立した翌年、
両選手、両チームの成績はどうだったのだろうか?

先ずは阪神タイガースだ。

主砲として期待された山内は
本塁打こそ31本放つが
打率は2割5分7厘と最低に終わった。

               (内角球をレフト線に弾き返す阪神時代の山内
                シュート打ちの極意は未だ健在のころ)
c0135543_17165922.jpg

その結果、チーム打率も
2割4分と余り褒められたものとは言えない。

しかし、この年阪神はペナントを制するのだ。

それは何よりも投手陣の頑張りの結果だ。

特に、前年9勝のバッキーが
29勝と大化けした事が大きかった。

勿論、村山の勝ち星も
22勝と前年を大きく上回った。

               (最多勝で優勝に貢献したバッキーと山内)
c0135543_17153759.jpg

主戦投手の小山が抜けた事で
コーチ、投手が
言わば”火事場の馬鹿力”を
現実のものにした結果であろう。






一方の毎日と小山である。

小山は獅子奮迅の働き!
30勝12敗、パリーグの最多勝に輝いた。

しかしながらチームは4位と
前年の5位から
ひとつ順位を上げたに止まった。

山内、田宮を欠いた打線は迫力不足、
小山一人の投手陣では
とてもペナントの優勝争いどころではなかったのである。

それでは、このトレード
阪神の勝ちか??

そうとも言えない。

その後、毎日は大毎と名前を代え
1970年に待望のペナントを制する。

この優勝の原動力となったのが
投手陣の三本柱
成田、木樽と小山だった。

特に36歳の小山は
16勝11敗と大きく優勝に貢献した。

そのとき、山内はすでに阪神にいなかった。

1970年は山内38歳
プロ野球最後のシーズンを
広島で送っていたのだ。

山内は阪神には
わずか4年しか在籍しなかった。

その間の打率は2割5分7厘で
毎日12年間の3割1分を
大きく下回った。

小山は阪神11年間で176勝を稼ぐが
毎日時代の9年間で
更に140勝の勝ち星を積み上げる。

もしも小山が毎日で
あと10勝上積みできたなら
両リーグで共に150勝達成という
偉大な記録が生まれていた所だった。

従って、表面に表れている数字だけでは
毎日の方が得をしたのかもしれない。

こうなると、最終的な損得勘定は
三原当時大洋監督の
指摘が当っているのだろう。

しかし、どうしてあの時代に
破天荒なトレードが実現したのか?
最後まで謎は残るのだ。

私の中では
山内はあくまでも毎日の主砲、
小山はいつまでも阪神のエースである。
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by shige_keura | 2009-02-25 09:14 | スポーツ | Comments(0)
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