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沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)
この島が沖縄といわれる前に
琉球王国が存在していた事は良く知られている。

では、琉球王朝時代の人たちは
自分達の国をどのように思っていたのだろうか?

沖縄県のシンボルというべき首里城には
”万国津梁の鐘”と銘文された鐘がある。
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9263295.jpg

”万国津梁”とは
世界の架け橋の意味であって
これが琉球時代から
彼らが考えていた
自分達の国の在るべき姿なのである。

琉球時代から
沖縄の人々は平和を愛する民であった。

その文化の最も深いベースには
”祈る”という行為が位置づけられている。

そこから盛んな
祭祀、儀礼が生まれていった。

彼等の考えの根底は
幸せは自分達だけで築いたものではなく
多くの支援の賜物との
感謝の気持ちがある。

その感謝の気持ちを祈る場所として設けたのが
沖縄各地にあるのが”グスク”である。

グスクは城と訳されているように
戦いを睨んだ建造物だが
彼らにとっては同時に
祈りの場所でもあったのだ。

”グスク”は彼らにとって
平和を守りそして
平和を祈る需要な拠点なのだった。





首里城は沖縄を代表する”グスク”であり
世界遺産となっている事は良く知られている。

しかしながら首里城だけでなく
近郊の地域にも
世界遺産として認定された”グスク”があることは
余り知られていないのではないだろうか。
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9295671.jpg

那覇から東海岸沿いに走ること1時間弱
300余も残っているグスクのなかで
最も遺構がよく残っている
中城(ナカグスク)城跡がある。
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9311454.jpg

城は連郭式の山城で
六つの郭で構成され
まさに威風堂々の佇まいを見せている。
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_932784.jpg

又、1853年に来島したペリー一行も
建築技術の高さと堅牢無比な事に
舌を巻いたという。

現在は城そのもののは残されていないが
優美な城壁の数々より
当時のエレガントな城の佇まいが偲ばれる。

               (”太陽が穴”(東)に向って建てられた裏門、
                ペリー一行がエジプト式と称した精巧なアーチ)
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9334673.jpg

特に印象的だったのは
城壁の緩やかな曲線!!
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9343791.jpg

日本本土の城には見られぬ特徴で
沖縄(琉球)の人たちの優しさを
垣間見た感がした。


沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9365614.jpg



               (1440年、この城を完成させた護佐丸の墓
                沖縄で最も古い亀甲墓と言われている)
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9374674.jpg

城の寒緋桜は満開
穏やかな太平洋を臨み
平和この上も無い光景だが・・・・・・・・・・・
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9443963.jpg


沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9451588.jpg

先ほどから上空では
けたたましい轟音を撒き散らして
米軍航空隊の演習が行われている。

               (霊域・南郭内に置かれた聖地への遥拝所、
                グスク内には計八つの遥拝所があり
                今でも拝む人が絶えない)
沖縄ーオキナワ 見聞録(祈りの島の”グスク”)_c0135543_9455414.jpg

沖縄の人たちの
平和の願いが達成されるのは
何時になるのだろう?
by shige_keura | 2009-02-28 08:42 |
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