上の画像は 有栖川公園の紅梅だ。 さすがに梅は終わりに近く、 名残の紅梅である。 それでも、鶯が花の蜜をついばんでいる。 沖縄では”桜に鶯”だったが やはり梅には鶯! 花札通りの方が宜しいようだ。 何故、私がこの公園に居るのか? それは公園のお隣にある 中央図書館に度々調べものをしにくるからだ。 今日は、久しぶりに穏やかな陽気、 気温は4月中旬並みになるとのことである。 ならば、図書館は早めに切り上げて 外の空気を思い切り吸おう。 なにせ、この界隈は 私の昔の縄張りなのだから。 公園の橋を渡り外に出ると 目の前に愛育病院がある。 その角を右に曲がり 100メートルほどの左側にあるのが 我が母校の正門だ。 両側のビルに押されて 正門は昔に比べいかにも窮屈そうだ。 これでは、中で学ぶ生徒が ノビノビと学園生活を楽しんでいるのだろうか? ところで、この学校を卒業した人全てが 自分を客観的に見ることが出来るとは限らない。 なかには、主観的、客観的以前に 意識が朦朧となる輩も最近は居るようだ。 先に進もう。 (その昔、皇太子(現在の天皇陛下)と 正田美智子さんがテニスをしていた。 美智子さん、それは美しかった!!) 東京ローンテニスクラブを通り過ぎ 行く手に盛岡グランドを見て 左の小道に入っていく。 この道は、その昔、我が家から 麻布十番に通じる抜け道だった。 昼でさえ人通りの少ない道 おまけに、途中には 薄気味の悪い池、 その名も”ガマ池”があった。 その昔、ここ一帯が大火に見舞われたとき 大きなガマが水を口から出して 消火したとの言い伝えがある。 (十番稲荷に祀られている池の主の石像) しかし、いくら正義のガマかもしれないが 私はカエルが苦手なのだ。 更に、誰言うこともなく ”底なし沼”との話が耳に入ってくる。 極めつけは、当時、 池のほとりにブリキの掘立て小屋があり 得体の知れぬ人が住んでいた。 気持ちが悪くて仕方がない。 夕暮れ時は全速力で ガマ池を通り過ぎるのが常だった。 (昭和30年代のガマ池) (このマンションがまさしく昔の”ガマ池”の場所) それが今では 瀟洒なマンションばかり 池そのものが 跡形もなく無くなっていた。 (マンション建設反対運動) 池の横の階段に登ると 母校の校舎、グランドが一望の如く???? 「ありゃ???、何もみえないわ!」 見上げれば高層ビルばかり、 変われば変わるものである。 その中で、西町スクールの 上品な建物は昔そのまま、 漸く心がなごんできた。 さてここからは 足繁く通った麻布十番への 下り坂となるのだが、 続きは明日に。
by shige_keura
| 2009-03-11 08:52
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