かつて鎌倉時代の頃、
箱根の山は地獄の山と恐れられていた。 何故なら、箱根の山は 峻険で霧深く 火山性の荒涼とした景観は 人々が思い描く地獄の光景だったのだ。 だから、旅人の多くは 遠回りと分っていても 箱根の山を避けて足柄山に迂回した。 その中から箱根は地獄信仰の霊場となり 人々は救済や極楽浄土を願って この地に石塔や磨崖仏が次々と作られていった。 元箱根から国道1号線に沿って 芦の湯方面に向うと ほどなく左手に池が眼に入ってくる。 精進池と名づけられた池のほとりと国道の左右に 箱根でもっとも多い石仏を見ることが出来る。 何しろ、昔は精進池の畔は ”六道の辻”と呼ばれていた。 ”六道の辻”とは”あの世の入り口”の意味である。 又、対岸にそびえる山は”死出の山”、 池そのものも”血の池地獄”と恐れられていたそうだ。 まるで商売っ気のない保存館を出て 池に沿って真っ直ぐに進むと 小さな広場に堂々とした宝印塔が目に入る。 これが通称、多田満仲の墓であり 建立は1296年とあった。 尚、多田満仲とは源満仲のことで 平安時代の名だたる武将であり 歴史上有名な大江山の酒呑童子を退治した 源頼光の父である。 更に道を真っ直ぐ進むと 目の前に3メートルほどの 大きな岩がそびえている。 これが23菩薩と呼ばれてい磨崖仏だ。 実に精巧に丁寧に彫られており 当時の信仰の厚さを物語っている。 箱根の山中、人知れずに ひっそりと佇む磨崖仏!! 胸に迫るものがあった。 道は行き止まりかと思うと トンネルがあり国道の反対側に通じている。 その道を歩むと 3基の五輪の塔が出てくる。 仇討ちで有名な曽我兄弟と 兄の十郎の恋人、”虎御前”と称されている。 この五輪の塔は1295年建立であり 中に仏像が刻まれるといった 極めて珍しくそして最古のものだという。 もと来た道を引き返し 保存館の手前で 再びトンネルをくぐり 国道の反対側に出る。 そこにあるのが 元箱根石仏群の中でも 最大の磨崖仏、六道地蔵で その高さは3メートルにも達する。 建立は1300年の8月8日、 以来地蔵は箱根の栄華盛衰を見守ってきた。 まさか、この道を 襷をかけたランナーが 沿道の声援を受けながら 疾走する日が来るとは 夢にも思わなかったことだろう。
by shige_keura
| 2009-04-04 08:33
| 旅
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