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思い出のプロ野球選手  -23-
今日の主人公のプレー、
私はたった一度しか見ていない。

それは1952年、
後楽園で行われたオールスター戦だった。

セを応援していた私だが
試合結果は8-1とパのワンサイドゲーム、
面白くもなんともない内容だった。

そのとき、パリーグの一員として登場した彼は
活躍したのか??

それが、余り記憶に残っていない。

私のその人に対する印象は、
怖い怖いおじさん風情、
余り近寄りたくない雰囲気を漂わせていた。

さて、話は変わるが
猫と鼠、どちらが速いだろうか??

猫は鼠を捕らえる動物、
ならば猫の方が速いのか??

それが、そうとも言えない。

私の大好きな漫画、
”トムとジェリー”では
常に鼠のジェリーが
猫のトムをおちょくっている。
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トムが如何なる策略を弄しても
ジェリーに間一髪逃げられてしまう。

戦後のプロ野球
セとパに分かれているとは言え
猫と鼠の盗塁合戦が
満天下のファンを熱狂させた。

本日の主人公は
一方の雄、南海ホークスの
木塚選手である。
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彼の異名、”鼠のチュー助”は
本名の木塚忠助からつけられたものだ。

この快足、”チュー助”に対抗し
猫の異名でセリーグをかきまわしたのが
松竹ロビンスの金山次郎選手だ。
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猫と鼠の盗塁合戦、
その結果は拮抗している。

            鼠(木塚選手)   猫(金山選手)
在籍年数       12年間       15年間
出場試合数      1,288       1,366
盗塁数合計        479         456
盗塁王獲得数       4回         3回

ほら、見たことか!!
やはり鼠の方が僅かながらとは言え
猫より速いのだ!!

木塚さんは小兵、
決して長距離バッターではない。

だから、生涯通算本塁打は
たったの42本である。

ただ、注目すべきは
その中に5本のランニング本塁打があり
これは今でもプロ野球記録として残っている。

しかし、木塚さんの自慢は足だけではなく
”ゼニ”の取れる内野手として
まさしくプロの職人として君臨していた。

彼は、九州の唐津の生まれ
もともと熱い血が流れていたのだろう、
門司鉄道局でプレーしている頃から
”門鉄の赤鬼”として相手に恐れられていた。

木塚さんは守備の広さと共に
驚異的な肩の強さを誇っていた。

彼の熱い血潮とバカ肩が
ある時、ひとつの事件を起こした。

チャンスで凡退し
ベンチに帰る木塚さんに向って
心無い野次がねちねちと続いた。

回が変わって
南海の守備となった時
木塚さんは守備練習の返球を
暴投と見せかけて
野次を浴びせた観客のそばに
矢のようなボールを投げ込んだ。
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今ならば大問題となるのだろうが
当の観客は下をうつむいたまま、
何のお咎めも受けなかった。

そういう木塚さんだから
小学生の私から見れば
怖い怖いおじさんに見えても不思議はない。

木塚さんはユニフォーム、洋服よりも
和服、それも着流しが似合う
古風な人に見えた。

ところがどっこい、
木塚さんは流行に敏感で
新しいものには誰よりも早く飛びついた。

そのひとつが自動車で
木塚さんはプロ野球選手の中で
最も早く自家用車を持った人と言われている。

                (1957年の東京モーターショーパンフレット)
c0135543_21575620.jpg

又、日本のモータリゼーションの象徴である
”モーターショー”のイメージ・キャラクターとしても
登場した事があった。

                (当時購入したオースティン、美人の奥様と共に)
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木塚さんは何事に対しても
動きが速かったのだろう。

そして彼の人生は63年、
これまた人一倍早く
人生を駆け抜けてしまったようだ。

最後に野球好きなご同輩に
ご意見を伺いたいことがる。

それはよく言われる、
”百万ドルの内野”についてである。

私の知る限りのプロ野球の歴史、
実際に”百万ドルの内野”を具現化したのが
木塚さんが活躍した時の
南海ホークス内野陣であると思う。

一塁、飯田徳治、二塁、岡本伊三美(鶴岡一人)、
三塁、蔭山和夫、遊撃、木塚忠助。

鉄壁の守備、巧打、そして俊足
1952年にはこの4人だけで
162の盗塁を記録した。

これこそ、プロ野球史上
唯一無二の”百万ドルの内野”だと思う。

いかがであろうか?
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by shige_keura | 2009-07-01 10:07 | スポーツ | Comments(2)
Commented by enzou at 2009-07-03 16:29 x
1952年 9歳 小学校3年? この頃から野球少年になっていったような記憶あり、まだプロ野球のこと?

確かにこの4人の名前は覚えているが。
Commented by shige_keura at 2009-07-06 17:01
enzouさんコメント有難うございました。

南海の内野で強く記憶に残っているのは
1塁(後にセンターに転向)の飯田と
首位打者も取った岡本ですね。

蔭山は地味だったと思うし、
木塚は現役時代の記憶は朧です。

色々な記録、伝聞等を総合すると
このときの南海の内野が
最も粒ぞろいだったのではと考える次第。
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