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100年同士の恋  -2-
日本のプロスポーツを見ると
サッカーに若干押されたとは言え
野球が今でも最も人気があるのではないか。

しかし、歴史を辿り
戦前、戦争直後の時代は
プロ野球は未だに認知されておらず
野球といえば
東京六大学が抜きん出た花形スポーツだった。

中でも早慶戦は
両校の生徒、関係者ばかりでなく
世間中を巻き込んだ
国民的行事だったのである。

長い歴史を誇る早慶戦で
最大の事件といえば
1933年に起きた
”リンゴ事件”に止めを刺す。

ブログのヒーローは
リンゴ事件の中心人物で
慶應の花形、水原茂である。
c0135543_1435225.jpg

このとき田中絹代は
水原の応援の為
1塁側応援席で
事の成り行きに固唾をのんでいた。

六大学に詳しい方なら
1塁側ならば
早稲田の応援席だろう?
と、思われる筈だ。

実はリンゴ事件がきっかけで
早慶戦だけは
以降ベンチ固定、
3塁側慶應、1塁側早稲田で
行われるようになったのだ。






試合終了後
応援団、観客がグランドに雪崩れ込み
実に1万人を超える人々が
相対峙したという。
c0135543_1437443.jpg

この大騒動の引き金を引いたのが
水原茂の行動だったのだが
この試合を
もう少し詳しく紹介しよう。

この試合は1勝1敗の後を受けた第3戦、
両校にとっては
まさしく、まなじりを決した戦いであった。

ところがこの試合は
最初から判定を巡るトラブルが続いた。

先ずは2回表慶應の攻撃
審判のストライクの判定が
慶應、腰元監督の抗議で
ボールに覆った。

そして、8回裏慶應の攻撃
得点は8-7で早稲田1点のリード、
このとき慶應、岡の2盗が
審判セーフの判定にもかかわらず
早稲田、高須遊撃手の抗議でアウトに覆った。

このとき、3塁コーチを務めていた水原は
審判に猛烈な抗議を行った。

このことが、早稲田応援席に
”水原憎し”の炎がメラメラと燃え上がったことは
想像に難くない。

9回の表、
守備についた水原に向って
早稲田応援席から野次ばかりでなく
モノが投げ込まれた。

そのなかで、誰のものだか
食いかけのリンゴが
コロコロと水原の前に転がってきた。

それを彼は持ち前のスマートな所作で
ヒョイっとバックトスで
早稲田応援席の方に投げ返した。

後に、水原は
このときの気持ちをこう語っている。

「怒った??当たり前だよ、
 神聖なグランドに物を投げ込むなんて
 怒るなって言う方が不思議だよ。

 だけどね、早稲田の応援席に投げ返したつもりじゃない、
 一番近い方角がたまたま3塁側だったということだ。」

このときは大事に至らなかったが
試合が慶應の9-8と逆転勝ちとなったことで
早稲田応援団の怒りが爆発した。

終了と同時に
早稲田応援団がドット
グランド、慶應応援席に雪崩れ込んだ。

このとき慶應応援団の指揮棒が
奪い去られ行方不明となった。

この事件は
早稲田応援団の解散
水原茂の謹慎で
一件落着となった。

さて、田中絹代と水原茂、
二人の恋の話は
明日にしよう。
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by shige_keura | 2009-10-14 09:22 | スポーツ | Comments(0)
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