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目黒界隈歴史探訪 -3- (美貌の若衆)
「お若えの、お待ちなせえやし」

「待てとお止めなされしは
 拙者の事でござるかな」

呼び止めたのが
名代の侠客、幡隋院長兵衛、

呼び止められた眉目秀麗の若衆が
手練の剣客、白井権八、
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お馴染み歌舞伎、
「御存鈴が森」、「極付幡隋院長兵衛」等
”鈴が森出会い”の一場面である。

話変わって、ここは目黒不動尊、
その山門の手前の左手に
小さな塚が立っている。
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名付けて”権八、小紫の比翼塚”である。
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権八とは美貌の若衆、白井権八なのだが、
私の中では、
白井権八とくれば幡隋院長兵衛、
幡隋院長兵衛ときたら水野十郎左衛門に
繫がっていく。





この三人男、其々がヒーロー、敵役であり
皆、同時代に生きた実在の人物のように
お芝居では取り上げられている。

果たして、この三人
実際に長兵衛を挟んで
”切ったはった”の因縁を
持っていたのであろうか?

諸説紛々様々なれど
どうも、こういうことらしい。

白井権八はもともとは
平井権八なる鳥取藩士であり
父の同僚を殺害し江戸へ逐電する。

ここで吉原の遊女、小紫と恋仲になるが
通う金欲しさに辻斬りを重ねるようになる。

だから、この時代の権八は
単なる辻切りの極悪人のようだ。

その後、目黒東昌寺の住職に説得され
改心し自首、鈴が森で処刑される。

権八は東昌寺に葬られるのだが
そのとき、小紫は吉原を抜け出し
墓の前で後追い心中してしまう。

権八の生年はハッキリしないが
死亡した1679年から推定して
1650-55年ごろと思われる。

一方、江戸の侠客
幡隋院長兵衛の一生はハッキリしている。

彼は1622年に生まれ
義侠で名を売るが
水野十郎左衛門のだまし討ちで
1657年に世を去ってしまう。

だから、長兵衛の死んだ頃
白井権八はいまだ
鳥取に暮らしていた頃のこととなる。

つまり、長兵衛と権八
”鈴が森の出会い”は
お芝居上のお話ということになる。

もう一人の主役、水野十郎左衛門だが
彼は1664年に切腹した事は確かなようだ。

その原因が
彼の日頃の仕業になる。

長兵衛が町奴として
弱気者を助ける義侠として
江戸市民の人気を集めていた頃
十郎左衛門は
旗本奴の頭として”白柄組”を束ね
乱暴、狼藉を働いていたようだ。

つまり、この二人は
同時代の人であり
深い因縁があったのは確かだ。

因縁の発端が芝居小屋で
十郎左衛門の手下が
長兵衛に喧嘩で負けたことによるものだ。

手下の仇を討とうと
十郎左衛門は長兵衛を自宅に招き
湯殿におびき寄せて謀殺してしまうのである。

湯殿に招くのは
その時代の最上のもてなし
長兵衛としては
裏の謀ごとを承知で受けざるを得ない。

十郎左衛門の企みは
無論、長兵衛の大小を
預かってしまおうというものだ。

この事件後も
十郎左衛門の乱暴、狼藉は止まず
遂に切腹に処せられてしまう。

死を覚悟して水野邸に乗り込む長兵衛
名セリフが御存知
「人は一代、名は末代」、
当時の江戸庶民にとって
堪らない吾等がヒーローの物語だったのだろう。
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”ヨーヨー、待ってました!!!」
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by shige_keura | 2009-11-19 17:15 | | Comments(0)
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