今年は松本清張生誕100周年とあって
特別企画映画祭が あちこちで行われている。 この機会に 東宝の新作「ゼロの焦点」と 松竹の旧作「砂の器」(1974年)を見比べた。 ミステリーに社会派の言葉がつけられたのは 松本清張の登場以来だろう。 彼の作品が面白いのは 単なる謎解きだけに終始せずに 真犯人が持つ過去の暗い影が 日本の近現代史と 深く係わり合いを持っている所にあるのだろう。 だから、清張の作品からは 従来の推理小説と比べ 格調の高さが感じられる。 しかしながら、その反面 彼の作品には ある種の暗さ、 哀しさが漂っていることも否めない。 今回の2作品の製作が東宝と松竹。 作品の出来をみてから気がついたのだが よりウエットな体質を持つ松竹の方が 清張作品を映画化するには 相応しい映画製作会社なのかもしれない。 「ゼロの焦点」も駄作とは言わないが 精々が並の上程度である。 一方、「砂の器」は 上質の娯楽作品に仕上がっている。 それは主に、 脚本の出来によるものだ。 「砂の器」の脚本は 脂の乗り切った橋本忍と 当時新進気鋭の山田洋次のコンビである。 この二人は 原作にあくまでも忠実に ドキュメンタリータッチで ストーリーを組み立てている。 そのタッチが全編に渡り 緊迫感を盛り上げる効果となっている。 その一方で、本には出せない映画の特長、 即ち、映像と音楽を見事なまでに取り入れている。 不治の病に冒された父と 幼い子供が 物乞いをしながら寒村を旅する場面が良い例だ。 この場面の映像の美しさと バックに流れる音楽はまさに絶妙! 本作品のハイライトと言っても良いだろう。 一方の「ゼロの焦点」だが 原作を大きく変更したチャレンジ精神は認めるが それが結局は失敗に終わっている。 最大の失敗は 話が嘘くさく感じられる事だ。 例えばクライマックスの場面なのだが、 金沢市で初の女性市長が誕生し 1階の会場では 喜びに涌く祝賀会が行われている。 ところが、同じ建物の2階では 容疑者が観念して 拳銃自殺しようとしている。 そのとき警察の車が到着し 容疑者の逮捕に向かう為 ドヤドヤと階上に乱入してくる。 そのとき轟然たる 銃声が一発!!!! ところが1階の祝賀会は 何事もなく進行していく。 こんな事はまさかにありえない。 そのほかにも ちょっとした脚本の無理が感じられ 見るほうとしては 心地よく映画に入って行けなくなる。 冬の金沢、 荒涼たる能登半島 場面場面の美しさがあるだけに 原作を妙にいじってしまった事が 大変残念に思えたのであった。
by shige_keura
| 2009-12-04 16:36
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