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初冬の鎌倉二人旅 (鶴と絹)
時刻はそろそろ12時、
本日の最大の目的地が
近づいてきた。

そこは江ノ電、和田塚下車
長谷方面への通りを
200メートルほど行ったところだ。
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屋号は”つるや”。
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小さな店構えなれど
開業、昭和4年(1929年)
鎌倉の老舗鰻屋である。

川端康成、小林秀雄等の文人と共に
”つるや”を贔屓にしたのが
当時、日本を代表する女優、
田中絹代だった。





当時の映画関係者で
鰻好きの両横綱、
一人が監督の小津安二郎ならば
もう一人が田中絹代だった。

ただ、二人が贔屓にする店は異なっていた。

小津さんのご贔屓が、南千住の”尾花”ならば
田中絹代の行きつけが、ここ”つるや”だった。

「文壇の方々も時々お見えになりましたけれど
 田中絹代さんには
 大変ご贔屓にしていただきました。

 よーく、いらっしゃって、えー
 鎌倉山のご自宅から」

お店の人の言葉だ。

1930年代の半ば
政界の黒幕、菅原通斎氏が音頭を取って
鎌倉山の宅地分譲を始めた。

それに呼応したのが
政財界の近衛文麿、徳川家達、大倉喜七郎、
オペラ歌手の藤原義江、
歌舞伎役者市村羽左衛門等の有名人達だった。

そうそうたる顔ぶれに混ざり
1936年、田中絹代は
ここ、鎌倉山に居を構えた。

時は飛んで戦後、
絹代は同じ鎌倉山で転居した。

この家こそ”田中絹代御殿”!

敷地、3万坪、建坪200坪、
和風豪邸だった。

(注・その土地はその後、
 擂亭が山椒洞の名前で
 会席料理屋として経営していたが
 今は、店を閉じ
 あくの強い司会者M・Mが所有していると言うが・・・)

彼女は栄養をつけたくなると
鎌倉山から足繁く
この”つるや”に足を運んだと言う。

真の国際女優と言われ
自らもメガフォンを取った田中絹代。

出演作品の数、243!
監督作品6、
彼女の見かけからは窺えない
このエネルギッシュな人生は
”つるや”の鰻に負うところが多かったのだろう。
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さて、”つるや”の鰻の味だが、
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白焼きのふわっとした感じは
南千住の尾花には敵わない。
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しかし、あっさりとしたタレの蒲焼は
鎌倉彫の重箱に優るとも劣らない
上品な味だった。
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by shige_keura | 2009-12-11 09:52 | | Comments(0)
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