愈々、江戸城、表玄関の大手門だ。
しかし、今見る大手門は ここが正門かと思えるほど質素に見える。 その反面、裏門であり 不浄門と呼ばれた 平川門の方がずっとドッシリトして 趣を感じる。 その理由は橋が木製であること、 そして、橋の欄干には 慶長19年(1614年)に作られた 擬宝珠が残されていることにもあるだろう。 平川門は大奥女中の出入り口であるが 不浄門の名の通り 怪我人や死者、 不祥事を起した大名達が通る門でもあった。 だから、松の廊下の浅野内匠頭、 役者とのスキャンダルを起した 奥女中の江島もこの門を潜っていったのだ。 名前は竹、今は石の”竹橋”を通過し 斜め前方に雉橋御門を仰ぐ。 この地点での掘の左右、 石垣は緩やかにうねっており 掘りの水面までは相当な高さ、 江戸城のスケールがよく分るポイントだ。 明暦3年(1657)の振袖火事で 焼失した天守閣も健在ならば ここからその雄姿を拝めたはずである。 実は竹橋を過ぎた所で 道を間違えてしまった。 竹橋を渡って 右に行かねばならぬところを 道なりに直進してしまった。 気がついたのは 通り過ぎて1キロの地点 いつもなら、そのまま進んでしまうところだが 今日はそうは行かない。 何故なら、引き返さないと 是非とも見たい場所を 見過ごしてしまう為だからだ。 そこは清水門、 寛永年間(1620年代)に作られたこの門は 傍に清水が湧いていたので この名前がつけられている。 その後、宝暦9年(1759年) ここに徳川御三卿のお屋敷が誕生した時 この門の名前から 徳川清水家と命名された。 しかし、そんなことより 私にとってこの門がなじみが深いのは 言わずと知れた 鬼の平蔵の役宅が この門外にあったことである。 訪れる人も殆どなく ひっそりとした中で 重厚な作りの清水門が 往時の様子を物語っている。 中村吉衛門扮する鬼平が 今にもむこうの石垣の角から 姿を現しそうである。 ”いいね、いいね! なかなか良い雰囲気だ!!” 拙者も少し気取って歩こうとするか。
by shige_keura
| 2010-01-09 18:30
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