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大森・羽田海道 (源義経と浅草海苔)
「源義経は浅草海苔の生みの親だ!」

これは事実か否かは別にして
伝説として今に残っているお話だ。

本題に入る前に
先ずは浅草海苔の
ネーミングについて紹介しよう。

昔から東京名産のご贈答品の定番と言えば
浅草海苔がその代表格だろう。

女優の山本陽子さんが
今よりもずっと美しかった時代、
和服に身をを包んだ彼女が
風呂敷包みを小脇に
楚々として玄関をくぐっていく。
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このコマーシャルを
誰もが覚えていることだろう。
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さて、江戸から明治、大正、昭和初期
大森海岸は日本一の海苔養殖場だった。

大森の海で獲れた海苔は
水温、水質との相性も伴ない
色艶、味、食感すべてに
最上級であると人々にもてはやされた。

ところが、大森産のこの海苔が
何故”浅草海苔”として売り出されていったのであろうか?

それは単に、
大森の海苔が
浅草を中心に全国に
売れていったことによるものだ。

当時、浅草は江戸の中心であり
お大名に出入りを許された
商家の大店が幅を利かせていた。

この大店の力で
大森の海苔が御前海苔として
人気を集めていく過程で
”浅草海苔”ブランドが確立したのだ。





さて、それでは義経海苔伝説に入ろう。

産業道路を下って行くと
梅屋敷の近辺だろうか
道路沿いに小さな神社を見出せる。

三輪厳島神社、
これが義経伝説を今に伝える神社だ。

時は1,180年、
小田原の石橋山で挙兵した
源頼朝に呼応して
義経は関東に下った。

黄瀬川で久しぶりに
兄と対面した義経は
更に東に向かい
玉川の渡しに差し掛かった。

そのとき、急激に天候が悪化し
義経の乗った舟は
大森沖を漂流し始めた。

義経は前方の丘に
小さな社を認め
その方向に一心不乱に祈った所
嵐は納まり一行は難を免れたのだ。

難を逃れた義経は
感謝の気持ちをこめて
神社に多額の喜捨を行い
併せて船着場に
”注連竹”(しめたけ)を建てた。

それから数年後、
村人が注連竹の先に
黒い藻が付着していることに気がついた。

口に入れると何故か美味しい!

これが後の
全国を代表する
大森海苔養殖に繫がっていった。
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訪れる人の姿さえ見えぬ三輪厳島神社、
小さな神社にこのような秘密が隠されていたとは!!
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今、浅草海苔は絶滅危惧種となっている。

そのため、大森では
実験的に海苔養殖を
小規模ながら再開している。
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これが、何時の日にか
”大森・義経海苔”として
全国に轟くブランドとなる日を期待する。
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by shige_keura | 2010-01-27 09:36 | | Comments(2)
Commented by enzou at 2010-01-29 21:45 x
良く調べていただきました。
隣の品川区では坂本龍馬で騒いでいますが、大田は義経で行きますか
Commented by shige_keura at 2010-02-01 09:14
enzouさん、コメントありがとうございました。

義経ならば十分龍馬に対抗できますね。
日本人好みのキャラクターだし、何か考えましょうかね。
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