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空の玄関浮き沈み (羽田の元祖飛行機野郎)
羽田の地に”東京飛行場”の名のもと
日本で初めての民間空港が産声を上げたのが
1931年のことだった。

しかしながらそれ以前から
羽田の地には
空の翼に憧れる男たちがいた。

何故ならば、この多摩川河口一帯は
干潮時には干潟が広がり
軽い飛行機が滑走するには
最も適した自然条件を備えていたからだ。

羽田と言う名の地名由来は
特に鳥の羽に関係があるものではない。

それにもかかわらず、
羽田の地に
鳥のように空を舞いたいと
同好の志が集まったのは
偶然の一致としては出来すぎている。





さて、世界の空の歴史を振り返るとき
必ず名前が挙がるのがライト兄弟である。

兄弟は学識経験を持たぬ普通の市民
一介の自転車屋の職人であった。

従って、2人が1903年、
初の動力飛行に成功したとき、
民間人の空への憧れは
現実のものとなっていった。

ここに日本のライト兄弟と言われた
玉井清太郎、藤一郎が
羽田の地で大空へ飛び立っていった。

兄、清太郎は当時の航空雑誌記者と共に
1915年羽田の穴守海岸に
日本飛行学校を設立した。

                (玉井式2号機)
c0135543_2245343.jpg

しかしながら、彼は玉井式2号機で
3度目の飛行中
不幸にも墜落死してしまう。

兄の遺志を継いだ弟、藤一郎は
羽田飛行機研究所を設立し
飛行家の養成に尽力する。

彼らの空への情熱がやがては実を結び
1929年時の逓信省は
羽田の江戸見崎にあった埋立地を取得し
日本初の民間空港を開港するに至ったのである。
c0135543_226115.jpg

羽田の地はこのように
日本の空の黎明期から
共に苦楽を共に歩んでいったのである。

最後に玉井清太郎のパートナー、
航空雑誌記者の名前を記そう。

彼は相羽有(アイバ タモツ)
まさに羽をもって空に飛び出るに相応しい名前である。
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by shige_keura | 2010-03-09 08:42 | | Comments(1)
Commented at 2016-04-14 08:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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