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役者気質は生まれか育ちか?  -1-
1ヶ月ほど前の話となるが
俳優の藤田まことさんが亡くなった。

享年77歳、慎んでご冥福をお祈りする。

実は私は若い頃
藤田まことに似ていると
何度か言われたことがあった。

要は私も馬面ということなのだが
なんとなくまことさんに
親しみを覚えていた事は確かである。

さてこの機会に彼の思い出と
西と東の役者気質について触れてみたい。




1930年、後に日本を代表するコメディアンが
東京、豊島区に生れた。

彼の名前はハナ肇、
御存知クレージー・キャッツのリーダーだ。

その3年後、同じ豊島区で生れたのが
今日の主人公藤田まことである。

それを知ったとき、正直驚いた
てっきり彼は生粋の関西人だと思っていたからだ。

まことさんから東京人の匂いは全くしてこない。

「上方喜劇の灯を消したらアカン!」
これは彼が死ぬまで言い続けた言葉である。

だからこそ、彼は意識的に東京の香りを消したのか?

或いは小学校時に関西に転居して以来
終生大阪、京都で暮らしたことによって
彼の芸風は上方に染まっていったのかもしれない。

ただ、もしも彼が上方の血に余りにも固執したとすれば
そのことが、まことさんの芸域をある程度
限定させてしまったような思いがしている。

さて、まことさんのデビュー当時を
振り返ってみよう。

父が無声映画のスター(藤間林太郎)だったこともあり
まことさんも自然に役者稼業に近づいていった。

まことさんの存在を初めて知ったのが
1957年TBS系で放映された
「ダイラケのびっくり捕物帖」だった。

放映時間帯は確か日曜の昼、
上方漫才の大御所、中田ダイマル・ラケットに
森光子が初主演でからむ捕物帖で
まことさんは来島仙之助なる与力に扮していた。

このとき面白かったのはダイマル・ラケットであり
森光子は単なるお嬢さん役者、
まことさんは面白くもおかしくもなく
影の薄い存在だった。

彼が大ブレークをするのが1962年
”あんかけの時次郎”の名前を引提げた
「てなもんや三度笠」である。
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白木みのるとの軽妙な掛け合い
御馴染みの名セリフ、
「おれがこんなに強いのも
 あたり前田のクラッカー!」

藤田まことさんは
瞬くうちに茶の間の人気者となっていった。

丁度その頃はアメリカテレビ映画の全盛時代でもあり
ご多分にもれずテレビにかじりついていた私だが
「てなもんや三度笠」をどのように感じていたか?

それは明日に続けたい。
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by shige_keura | 2010-03-14 18:06 | | Comments(0)
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