畳の日本間にある堀炬燵、
厚い丹前に身を包み 一人黙然とミカンの皮をむいている、 何を考えているのか???・・・・・・、 これが三原に相応しい姿だと思う。 一方の水原は全く違う。 洋風の瀟洒な自宅の居間、 センスの良いカシミアのカーデガン、 立ち上る紫煙は当時貴重な舶来の煙草、 時折バカラのロックグラスを口に運ぶ。 (当時、自由ヶ丘にあった水原邸 居間には大きな鏡張りの洒落た衣装ダンスが) 袖口からキラッと時計が光る、 勿論、それはロレックスだ。 (壁にさりげなく掛けられているボルサリーノのソフト帽) ハイカラ好み、一流品にしか目を向けない、 それがピタッと決まるのが水原、 日本野球界史上最高の伊達男に間違いはない。 恐らく本人もそれを自認していただろうが 不思議なことに嫌味にならない、 スマートボーイ、水原だ。 野球界を引退し70歳を越されている頃、 東横線の車中で水原さんをお見受けした。 冬だったと思う。 空席は幾つかあったが立っておられた。 網棚に携帯のゴルフバッグが置かれていたのは 近所の練習場にでも行く途中なのだろう。 コートと着て、ソフトをかぶり 背筋をピンと張って 車窓からの景色を追っていた。 その姿はホレボレするほどの美しさだった。 野球の先進国はアメリカ ならば学ぼうじゃないか。 当時、水原ほど積極的に アメリカの戦術を取り入れた監督は居ない。 ドジャーズのベロービーチでのキャンプ後、 帰国した水原の3塁コーチャーズボックスの姿、 観客は勿論野球関係者も目を剥いた。 見たことも無い所作である。 これが今では高校野球も取り入れている ブロックサインの日本初お目見えだった。 しかし、今もって水原以上 華麗にブロックサインを送る監督は居ない。 アメリカからツープラトンシステムを学び 実践に取り入れたのも水原だ。 ツープラトンシステムとは 相手投手の右、左によって 二通りの攻撃オーダーを組む作戦だ。 ここに水原は攻撃型監督の特徴が見出せる。 波に乗ったときの破壊力は無敵! 相手は参った! 早々に白旗を掲げるしかない。 (当時の巨人幹部、左より千葉、水原、川上、中尾 水原と川上のユニフォームの着こなしの違いに注目!) しかし、ひとたび受けに回った時 意外な脆さをさらけ出すことがある。 油断がある。ポカがある。 その意味では戦国武将の織田信長、 将棋界ならば升田幸三九段に似ているのではないか。 この3人に相通ずる面。 それは自分を傑物と自認していること、 それによる自信が過信、油断に繫がる危険性をはらんでいること。 自分の判断に揺ぎ無い自信を持ち 好き嫌いをはっきりと出す為 誤解を呼び敵を作ってしまうこと。 無類の負けず嫌い、 あくなき勝利への執念を持ちながら ひとたび勝敗利ならずの時は 負けを負けとして潔く受け入れること。 対する三原は徳川家康、 昭和の大名人、大山康晴を思わせる。 監督としての実力、器量、 それは三原の方が上であるかもしれない。 しかしながら人間としての魅力度、 私は水原の方に軍配を上げる。 それでは三原とはどのような男だったのか? ここがなんとも悩ましい所だが 明日に続けたい。
by shige_keura
| 2010-04-16 08:54
| スポーツ
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