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真のライバル 12 (続、謎の男)
三原はある面”へそ曲がり”、”嫌味”な男だ。

その一例を示そう。

1962年9月22日、
三原が大洋監督していた時の中日戦
下記がスターティングメンバー交換時のメンバーと
実際に先発出場した選手の比較である。

    スタメン交換時    実際の先発メンバー

1   青山   (右)      アグウイリー  (三)
2   松久保  (左)      島田(幸)    (一)
3   近藤(和) (中)     左に同じ
4   蓜島    (遊)     桑田       (遊)
5   的場    (三)     グルン      (右)
6   平山    (二)     長田       (左)
7   上田    (一)     鈴木       (二)
8   山田    (捕)     島野       (捕)
9   秋山    (投)     左に同じ

”アテウマ作戦”は当時から存在していたが
何と9名中7名を入れ替えてしまったのだ。

何の為に???

勿論、これは”訳あり”、
三原無言の抗議だった。   

この年、誠に奇妙なルールがまかり通っていた。

即ち、5月1日から9月15日まで
ベンチ入りは25名とする、
但し、それ以外の時期はベンチ入り人数無制限。

なんとも馬鹿なルールであり
それに対し三原が異議を申し立てたのだ。

連盟にとっては
あの三原が又か!
どうにも嫌味な奴、と映っただろう。   

平和台の外野席に大団扇を男に持たせ 
相手捕手のサインを盗みバッターに合図する、
即ちサイン盗みを三原がやっているとも囁かれた。

三原が実際に導入した乱数表は
試合時間との関係で1983年廃止された。

あらゆる手を使い勝とうとした三原、
いや、使わざるを得なかったのだろう。
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何故なら、西鉄はともかく
彼が受け持った球団、大洋、近鉄、ヤクルト
すべてが弱小球団、お荷物球団だったのだから。

しかし、あくなき勝利への執念!

これほどのアイデアを考える三原、
まっこと頭の切れる男である。






では、この三原どの様な”野球観”を持っていたのか?

これが私にとって実は分らないのだ。

彼はプロ入団以前
ほんの少しの間、報知新聞の記者をしていた。

しかしながら、それ以降
監督退任以降も含め
正式な解説者を務めたことがない。

あの口下手な川上でさえ
NHKでどうしようもない解説をしていたのに。

だから、三原にとって野球とは何なのか?
野球にたいしてどのような考えを持っていたのか?
それらを解く手がかりが私には無いのだ。

「野球は筋書きのないドラマである」

これは三原が最初に言い出した言葉だと伝えられている。

ここに三原戦術とは何か?が
集約されているようにも思う。

筋書きの無いドラマを
出来るだけ自分のシナリオに合わせたい。

それが勝利に導く鍵である。

と、なると、野球は投手から
守り重視の野球となるだろう。

「20勝投手は3人の3割バッターと同じ価値がある」

これも、三原の言葉である。

そして、三原の考えたこと、
「自分のシナリオを練り上げるには
 相手の徹底した解剖が不可欠だ。

 逆に自分たちの正体を敵に知られてはならぬ」

ここを、原点に三原の徹底的な撹乱戦術が生れる。

中には、考えているようで実は考えていない
このような戦法も三原は得意だったろう。

何故なら当時の西鉄のメンバーは
盗塁は自信があれば自分の判断でやってよい、
こう三原に言われていたとも言う。

しかし、敵は勿論味方までも
「三原は監督さんは
 何か考えているにちがいない???
 どこかに落とし穴が、奥の手があるはずだ」

こう思わせてしまうところが凄い。

類稀なる切れ者、三原、
彼については上手くは語れない。

そこに魔術師、三原の真骨頂がある。
c0135543_938729.jpg

「真のライバル」はいつの間にか12回、
そろそろ明日にて最終回としたい。
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by shige_keura | 2010-04-24 22:08 | スポーツ | Comments(0)
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