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家の宗教は?
この連休は専ら家に篭って調べものをしていた。

日数もたっぷりあったし
さぞやはかどったかと思うと
あにはからんや、それがうまくいかない。

ある目的で調べているうちに
全く違った興味ある事柄に気をとられ
俄然横道に迷い込んでしまうからだ。

大掃除で出てきた古新聞の中の
日本シリーズの記事に熱中するようなものだ。

但し、今日の話題は至極真面目なものである。

それは1990年、銀座のロータリークラブでの
当時、京大教育学部、河合隼雄教授の講演内容だ。

「うちには宗教があるのか?」

これは当時家庭内暴力を引き起こしている問題息子が
両親に投げかけた言葉だ。

1990年と言うと今から20年前、
そのときすでに家庭内暴力という言葉は存在していた。

先ず、家庭内暴力はなぜ起こるのだろう?

問題を引き起こしている子供自身
実は自分の怒る理由が良くわからないのだ。

一方、両親にとっても
息子がなぜ怒って暴力を振るうのかが理解できない。

「お前、何でそんなに怒るんだ。
 今までお前の言うとおり
 欲しいものをすべて与えてきたじゃないか」

それに対する子供の言葉が
「一体、うちには宗教があるのか?」である。

両親は言葉に詰まり
益々気まずい空気がたちこめた。





ここで言う宗教とは仏教の宗派、
キリスト教、イスラム教等のことを意味しているわけではない。

子供が言いたかったこと、それは
両親には”これだと信じているものがあるのか?”である。

大体、両親が最初に言った言葉、
「何でも欲しいものを与えてきた」に無理がある。

この言葉、裏を返せば
”欲しい物をすべて知っている”になるが
そんなことがあるはずは無い。

例えば、子供がバイクが欲しいと言っている、としよう。

これは表面的な物欲であって
彼の心を揺り動かしていることによる結果なのだ。

いや、ひょっとすると
息子はバイクなんか欲しくないのかもしれない。

そう言い出した背景に何かがあるはずだ。

だから、両親としては
彼の心を知らずして物ばかり与えても
息子を精神的に満足させることにはならない。

そこを鋭く突いた息子の言葉だ。

要するに彼の悲痛な叫びは、
「金で買えないものを
 今まで与えてくれたことがあったのか?」となる。

子供としては欲しい物をテーマにして
両親と心と心の会話をしたかったのかもしれない。

教授は言う「現代の(当時の)親たちには
子供に物を与えることで心の出し惜しみをしている。
物と心の釣り合いが大切である」

しかし、子供に突っ込まれ
批判を受けた親たちにも言い分はある。

「大体、我々は戦後の食糧難、
 物の無い時代を生き抜いてきた。

 それは凄く大変な経験だった。

 だから、せめて子供達に
 あの苦しい思いを味あわせたくない」

特に父親は大不満だ。

「頑張って金稼いで
 家も車も買って、子供達には大学も行かせて
 欲しいものは買い与えてきた

 それなのに今更何だ!!!」

これでは家庭内暴力の火は消えるどころか
どんどん燃えさかってしまう。

さてさて、教授の講演以降
20年の月日は流れたが
家庭内暴力の火は消えたわけではない。

想像するに同じことが起きているのだろうと思ったのだが・・・・・・???

待てよ、あの頃、ものばかり与えらえ
心を与えてくれなかったことに怒りを爆発させた子供達が
いまや親となって子供を育てている筈だ。

そうなると、考えられるシナリオは二つ。

ひとつは、子供の頃経験した苦しみを糧にして
心の出し惜しみをせずに
子供達を育てているであろうか?

或いは、自分たちが受けてきた
”モノ中心”の育て方を
そのまま丸投げしているのだろうか?

さー、どちらのシナリオが優勢なのだろう?
by shige_keura | 2010-05-07 08:57 | その他
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