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記憶の彼方 -1-
7月15日、日経新聞のスポーツ欄、
二つの野球記事が
遠い昔の記憶を蘇えらせてくれた。

ひとつは、オリックス、金子投手の3連続完封、
これはパリーグタイ記録である。

昨今の打高投低の傾向を考えると
まさに”アッパレ!!”であり
是非とも4連続を狙って欲しい。

注目の記事は最後に出てきた。

「尚、プロ野球記録は6試合連続完封」

何!6試合連続だと!!誰だ??

その人の名前は藤本英雄、巨人のエース、
”ポパイ”の愛称で親しまれた人格者だった。
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彼は私が生まれて初めて
後楽園での野球観戦のときに
別所ノックアウトの後に登板して
ピシャリと抑えた安定感抜群の投手だった。

その時代の巨人の三本柱、
好不調の波が意外と激しい別所、
荒れ球で不安が一杯の中尾に対し
悠々迫らぬプレートさばきの藤本は信頼感抜群であった。

しかしながら、彼の投球フォームは実におとなしく
更には性格も温和であったが為に
成績ほどに注目度は高くなかったのではないか。
               
               (当時の巨人投手陣、左より中尾、多田
                藤本、一人おいて別所)
c0135543_228449.jpg


今、彼の記録を振り返ってみると
如何に藤本が優れた野球人であったことに驚く。




明治のエースとして六大学に君臨した藤本は
1942年、4年の秋のシーズン終了直後に巨人に入団する。

翌年を待たずにである。

以降、その年の残された約2ヶ月だけで
10勝無敗、9完投勝利防御率0.81!
出来すぎた新人投手の登場だ。

そして、翌年が物凄い!

登板  完投  完封  勝利  敗戦  防御率
56   36   19   34   11   0.73

ここで6試合連続完封を含む
62イニングス連続無失点のドエライ記録を達成する。

又、この年の19完封、防御率0.73は
現在も破られていない単年プロ野球記録だ。

尚、彼の記録した通算防御率1.90、
通算勝率0.697(200勝87敗)は
2000回以上の投球回数を記録した投手の中での最高記録だ。

1944年、彼はおかしな記録を作る。

戦争で選手が減って行く中
藤本はエースで3番を打ち
しかもこの年から2年間監督を務めた。

このとき、藤本25歳、
プロ史上最も若い監督の登場で
この記録はいまだに破られていない。

最後に彼の樹立した大記録と珍現象を紹介しよう。

藤本はプロ野球史上初めて
完全試合を達成した投手として名高い。

時は1950年、青森球場での出来事だった。

ただ、この試合、巨人の先発予定は多田だったのだが
彼が急な食当たりで登板不能、
急遽先発のお鉢が藤本に回ってきた。

彼は”まずいことになった”と思った。

なぜなら、先発予定なしを見込んで
徹夜で麻雀を楽しんでいたからだ。

ところが何が幸いするか分からない。

欲も得も無く、眠い目をこすりながら投げているうちに
プロ野球初の大記録が出来てしまったのだ。

おかしいのはこれからだ。

当日はローカルの青森での試合、
観戦野球記者は僅かに4名
極めつけはカメラマンが一人も居なかったことだ。

だから、記念すべき大記録達成を伝える写真が
一枚も残されていないのだ。

地味な藤本らしい出来事であるし
まさに古き良き時代の野球を伝える
おおらかなお話しだ。

もう一つの記事については
明日にまわそう。
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by shige_keura | 2010-07-25 21:52 | スポーツ | Comments(0)
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