無花果(イチジク)を知らない人はいないだろう。
誰でも知っている無花果だが 御同輩諸氏は良いイメージを持っていないはずだ。 東京にはかつて庭の有る家が沢山あった。 そして、その庭の一角には 無花果の木が植えてあった。 但し、イメージが良くない理由は 植えてある一角が問題なのだ。 無花果の木が正面玄関の脇、 或いは庭の中央に植えてある家を見たことが無い。 殆どが裏庭の一角にひっそりと佇んでいたので その姿は便所(敢えてトイレとは言わず)の窓から見かけることが多かった。 かつての我が家の庭、 便所の窓からも見えないくらい 裏庭の外れに無花果はひっそりと植わっていた。 当時の無花果の果肉、 枝からもいで食べてもちっとも美味しくなかった。 頼りない甘さ、といって酸味はまるでなし、 家族の誰からも見向きされぬ無花果、 これほど無視された果物はなかっただろう。 唯一、役に立ったのではないかと思うのが 茎から出る乳液だった。 無花果の乳液は”イボ”に効く! 偶々、足にイボが出来た私は せっせと乳液をすり込んだ。 それが或る日、 転んだ拍子にポロリとイボが取れた。 ただ、乳液のおかげなのか? 転んだショックの為なのか? 今もって謎である。 ところが、この無花果が欧州に行くと 人気のある高ブランドの果物と変身する。 歴史的に見ても、あの旧約聖書の中にも 禁断の実を食べたアダムとイブが 無花果の葉で身体を覆う場面が出てくるのは ご承知の通りである。 古代ローマ市民の集まったフォロ・ロマーノ、 そこにある神殿跡の前に 今も当時の重要な三つの植物が植えてある。 ブドウにオリーブそして無花果の木である。 古代ローマ市民にとって この三つの植物は 必要欠くべからざる生活の糧であった。 それは1980年代初頭の勤務地、 ミラノでのことだった。 或るレストランで生ハムと共に無花果が出てきた。 生ハムとメロンの取り合わせは 日本でも知られはじめていたが 無花果と一緒に食べるのは初めてだ。 「なんだ、無花果かーーー・・、 メロンじゃないのかい、 ケチだねこの店は・・・・・」 それが口に入れて仰天した。 スッキリと甘さに上品な酸味、 生ハムとの相性はメロンよりも 間違いなく高い!! 以来、初夏のマーケットに出回る 瑞々しい無花果が待ち遠しくて堪らない存在となった。 無花果が飛躍的に見直された時代、 私の心の中で、無花果の地位は 著しく向上した。 ところが、3年間帰国した1980年代後半、 日本で食べる無花果はイタリアとは別物の如く 例の気の抜けた甘さの果物のままだった。 表舞台に登場したと思った無花果は 又もや便所の窓から見える裏方に戻ってしまった。 一体全体どうしてこんなに違うのだろう? 以下は明日に続く、
by shige_keura
| 2010-11-18 21:57
| 食
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