日本で食べる無花果と
イタリアの無花果、 どうして味に大きな違いが出るのだろうか? 私なりにたどり着いた結論は次の通りだ。 日本の無花果は熟すと表皮が赤くなる、 逆に言うと表皮が赤くならないと 果肉は熟さず、食べてもまるで美味しくない。 表皮が緑の無花果、 中は真っ白、スカスカ、食べられたものではない。 ところが表皮が赤くなった無花果は、 中の果肉が熟しすぎ、スッキリとした美味しさがない。 一方、イタリアの無花果の場合、 ここが不思議な所なのだが 表皮が瑞々しい緑色を保ったままに 中の実は適度に熟している。 7月頃から街角で山ほど積まれている無花果は 全てが緑色、表皮が真っ赤な無花果は殆どない。 表皮が緑色、中は適度に熟している、 これがイタリア無花果の美味しさの秘密だ。 何故、日本では表皮が緑の無花果で 中の果肉が甘酸っぱいものが無いのか? 長年不思議に思っていたところ 最近になりようやくイタリア的無花果を眼にするようになった。 それも流石、日本だと思う事は この晩秋の季節に出回っていることだ。 これはどう見ても温室栽培で初めて可能になることだ。 無花果も随分と人気が上がり ブランドそのものが高くなったものだ。 日本に於ける、無花果の地位向上、 そこまでに至るまでには 長い不遇と不幸の歴史があったのだ。 遂に無花果は便所の窓から訣別することが出来た。 11月某日、台所に懐かしい 緑色の無花果があった。 近所のレストランで売っていたものだ。 そして、不思議なことに その日、娘からパルマの生ハムの差し入れがあった。 偶然の一致にしては出来すぎた話である。 その日の夕食は 久しぶりにローマ、ミラノを思い出す 楽しいひと時となった。 長い長い夏の夜、 浮き立つローマの街角での食事 先ずは、生ハムと無花果の絶妙なるコンビネーション そして冷えたシャンペンで喉を潤す。 これぞイタリア的人生の楽しみ方である。
by shige_keura
| 2010-11-19 08:56
| 食
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