”釜飯”は私にとって
真に不思議な食べものである。 決して大好きな食べものではないが 嫌いではなく好きな方だ。 しかし、家で釜飯は作らぬし 外でも滅多に食べない。 釜飯を最も多く食べた時代が中学、高校当時 信越線の旅を繰り返していた頃のことだ。 旅の楽しみのひとつが 横川駅で買う駅弁の”峠の釜飯”だった。 従って最も食べた時代でも 年に精々3-4回ぐらいだと思う。 その不思議な食べもの、釜飯を 久しぶりに味わったのが12月30日 渋谷東横店に店を出している「立田野」である。 夫婦だから足を踏み入れたのであって 一人ではまるで縁遠い店の一つだ。 何しろ、発祥はお汁粉、あんみつ等の甘み処なのだから 特に若い頃は苦手中の苦手の食べものだったからだ。 丁度、昼の自分時、 殆どの店の前は待ち人がたむろしている中、 何故か立田野の店内は8分の入りだった。 店内は御同輩ペアと年配の女性が圧倒的多数、 若い女性はチラホラ見かけられたが 若い男だけのグループは皆無である。 釜飯を食すのは久しぶりにと言ったが 最後に食べた釜飯は何時だったのか? どこで食べたのか?まるで覚えていない。 銀座の”鳥銀”だったような気もするが???? 釜飯がこの世に誕生したきっかけが 関東大震災と言われている。 震災で焼け出された多くの人たちは 焼け跡でありあわせの釜で米を炊き 飯櫃に入れずに直接ご飯茶碗に盛って食べた。 それにヒントを得て 一人用の釜に様々な具を入れた 現在の釜飯が出来上がったというわけなのだ。 「大震災は釜飯の母!!」 釜飯誕生秘話である。 目の前に南部鉄釜に盛られた 冬季限定、”牡蠣釜飯”が運ばれてきた。 蓋を取るとほのかに牡蠣の香りが漂い食欲をそそる。 プリプリした牡蠣が贅沢に使われ ご飯茶碗3杯分の釜飯を堪能した。 なかなかいけるじゃないか!! 最後に釜にこびりついたオコゲを 丁寧にしゃもじで剥がして楽しんだのは言うまでもない。 ところで、立田野の創業は明治28年、 日本橋室町に甘味処として店を開いた。 創業者は高畑竹松、 立田野の四股名で幕内まで上がった相撲取りだ。 彼は引退後、自分の四股名を冠して店を開いたのだが ちゃんこ鍋ではなく甘み処と言うところが面白い。 竹松はそれほど甘みには目のない男だったのだ。 彼の幕内時の成績は 2勝13敗18休み、7引き分け 惨憺たる星勘定に終わっている。 きっと甘い物食べ過ぎがたたり 脇が大甘になったに違いない。
by shige_keura
| 2011-01-11 08:33
| 食
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