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梅の季節に梅供養 -後編ー
大画面、CG技術、そして3Dと
様々な技術革新がなされている映画の歴史で
トーキーの出現こそ
映画を庶民の娯楽に引き上げた
最大の功労者と言っても良いだろう。

トーキーの出現で不幸な目仁遭った人もでた。

即ち、活弁士は職を失い
科白の下手な俳優は淘汰されていった。

しかし、俳優の地の声が聞こえる!
効果音が真に迫ってくる!!

映画の迫力は無声映画とは比べ物にならぬほど
増大していったことは否定できない。

松竹キネマ蒲田撮影所が
1931年、製作した「マダムと女房」は
日本初の全編トーキー映画として世間の耳目を集め
これを機に、日本は一挙にトーキー時代へと突入していった。

しかしながら、この作品以前にも
部分トーキーながら
日本で新たな映画製作に情熱を傾けていた人がいた。

大森に、昭和キネマの名前で撮影所を設け
「ミナトーキー」の名前のもとに
日本初のトーキー映画を製作した
皆川芳造がその人だった。

”ミナトーキー”の名前は
皆川のミナと”みんなトーキー”から名付けたものだ。





1年間に9回に渡る渡米の結果、
アメリカからトーキー技術権利を得た皆川は
1926年大田区の大森に
「昭和キネマ」の名前で撮影所を設立し
日本に於けるトーキー開発の先駆者となった。

1929年、「素襖落」(すおうおとし)で
日本初のトーキー映画を完成させた皆川は
帝国劇場、東京會舘にて日本初のトーキー映画試写会を行った。

一作目、「素襖落」、二作目、「大尉の娘」、
話題性は十分だったのだが
技術性の完成度が低く
トーキーは一般に浸透しなかった。

そこに1930年トーキー映画第3作目として
真山青果の「仮名屋小梅」が満を持して登場した。

この作品は浅草、神田、麻布等で一般公開され
技術的進歩と作品の話題性の大きさで
以降、急速にトーキー映画が浸透していくこととなった。

又、「仮名屋小梅」で小梅を演じた五月信子は
のちに松竹蒲田の中心女優となって活躍するようになった。
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               (当時の松竹蒲田女優の水着写真、左が五月信子)
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更に、1935年、実話と「仮名屋小梅」をもとに
文豪、川口松太郎が「明治一代女」を発表、
同年、同名の歌と共に大ヒットとなっていった。

その後、現代至るまで
「明治一代女」は舞台に映画に
幾度も取り上げられ多くのファンを集めるに至った。

               (先代、水谷八重子演ずるお梅、新派舞台「明治一代女」)
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               (木暮実千代演ずるお梅、映画、「明治一代女」)
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今は、西麻布の片隅にひっそりと眠る”花井お梅”、
戒名は”戒珠院梅顔玉永大姉”。
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彼女が日本の映画、演劇、歌に与えた貢献を
知る人は少ない。
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by shige_keura | 2011-02-09 09:11 | | Comments(0)
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