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築地、月島、佃島 -佃煮の故郷-
佃煮で御馴染みの佃島だが
その名付け親は江戸市民ではなく上方の漁民である。

1590年(天正8)、徳川家康が関東下降の際、
摂津の国、佃村(現在の大阪市、西淀川区)の漁民33名を
一緒に江戸に移した。

その大きな理由は、
当時の江戸は好漁場がありながら
すぐれた漁師が居なかったためである。

その後、彼らは江戸の住み着いた砂洲に
土砂を埋め立て拡張、築島し、
故郷に因んで佃島と命名した。
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佃島の民は豊穣なる江戸前の海で獲れた小魚、貝を
生醤油で煮しめて保存し家庭内の副食物としていた。
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これが、日本人ならば
誰でもが知っている”佃煮”である。

今でも、当時の面影を留める店構えの老舗が
いずれ、”本家”か”元祖”かを競っている。
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アサリ、昆布、葉唐辛子
三種の佃煮を買い求めることで
地元伝統産業への僅かばかりの貢献とした。
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佃島漁民の守り神、住吉神社、
ここの境内の一角に
堂々たる碑が建立されている。
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その名は”鰹塚”、
東京の鰹節卸売り協同組合によって
昭和28年に建てられたものである。

何故ならば、江戸時代から鰹節問屋は
住吉大神を生業繁栄の守護神として崇め奉ってきた。
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そのこだわりは、神社の棟木の上に
鰹節に似た円形状の飾り木、
”鰹魚木”が横に並んでいることからも窺われる。
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小さな島には大きすぎるぐらいの神社があれば
島の大きさに相応しい小さな小さな地蔵尊もある。

               (地蔵尊への正面と裏の通路)
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”佃天台地蔵尊”は人がすれ違えない狭い路地の一角に、
しかも銀杏の大木に押しつぶされんばかりに
ひっそりと隠れていた。
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上を見上げると屋根をぶち抜いた銀杏が
大きく枝を広げている。
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隅田川の畔まではごく僅か、
そこには昔の”佃の渡し跡”を記念する石碑が
忘れ去られたように建っていた。
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大川もここまで来れば流れは穏やか、
江戸前の海は目と鼻の先である。
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by shige_keura | 2011-02-18 08:50 | | Comments(0)
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