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温厚なるファイトマン
1951年6月2日、所は後楽園球場、巨人対中日戦。

試合は後半、回も押し迫った7回裏、
4-6とリードされていた巨人は
漸くエース杉下をとらえ無死1,2塁、
絶好の得点チャンスを迎えていた。

3塁コーチャーズボックスから
監督水原は背筋をピンと伸ばし
自軍のダッグアウトへと歩を進めた。

「誰か、きちんとバントで送れる奴はおらんか?」

沈黙が支配するベンチ内、
静かではあるが聞きなれぬ英語が響いた。

「I try」、
たった数日前にハワイからやってきた
与那嶺要(ウォーリー)の記念すべきデビューの瞬間である。
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スポーツマンらしからぬ温厚で柔和な表情、
「おい、誰だあいつは??」

「大丈夫か?ハワイからだってよ、
 頼りなさそうじゃないか、恥かくなよ」

ベンチ内に流れる不安、侮蔑、不信が
1分後には驚愕に変わった。

「なんだ!あれは!!!」

打つと見せかけて
ボールの勢いを殺した
絶妙のセーフティバントが転がった。

3塁手の送球が1塁に届く頃には
与那嶺は風の如くベースを駆け抜けていた。

自軍、相手ベンチ、観客席
全員がポカンとしていた。

日本が日本プロ野球全員が
初めて目の当たりにする近代的アメリカンベースボールだった。





鮮烈なデビュー以降
与那嶺は1番に座り右に左へとヒットを量産した。
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生涯打率は0.311、
これは張本、川上に次ぐ史上第3位である。

シュアな打撃もさることながら
与那嶺の真骨頂は足の速さと
走塁の非凡なテクニックだった。

現役生活12年間、
盗塁で最も難しいホームスティールを
なんと11回も成功させている。
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これは、勿論プロ野球記録として残っている。

又、デビューの年に1イニング3盗塁をやってのけ
相手チームはもとより自軍、ファン全てをアット言わせた。

ヒットで出塁した与那嶺は
矢継ぎ早に2盗、3盗を決め
まさかのホームスティールも決めたのだった。

まさに、やりたい放題、疾風矢の如し!

野手めがけて体当たりの猛烈な滑り込み
下手にタッチをしようものなら
ミット、グラブごと弾き飛ばされる。

与那嶺は若き頃、
日系人としては初めて
全米プロフットボール選手として活躍した。

彼のアメリカンフットボール仕込、
恐怖のスライディングは敵を震い上がらせた。

日本シリーズの対南海戦、
捕手の筒井が与那嶺の体当たりで
3メートルも吹っ飛ばされ気を失った。

ファイトむき出し、恐るべき破壊、突進力が
日本プロ野球を席巻した。

恐怖の男、ウォーリー・与那嶺!!
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しかし、この与那嶺、ひとたびユニフォームを脱げば
敬虔なクリスチャンにして温厚な紳士、
誰にでも優しい手を差し伸べる男だった。

               (ハワイの後輩、エンディ・宮本のよき指導者として)
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               (札幌遠征時、チームに溶け込む与那嶺さん、先頭右、
                先頭左は楠、後ろに大友、背の高いのがビル・西田)
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1952年、小学校5年生当時の王貞治さんが
生まれて初めて見た後楽園での試合、
ほかの巨人選手が傲然と通り過ぎる中
ただ一人優しい笑みを浮かべて
サインをしてくれたのがウォーリー与那嶺だった。

その時の光景が目に浮かぶようだ。

晩年の与那嶺さんの風貌、
それはスポーツマンと言うよりも
カソリックの神父様を思わせる
慈愛にあふれた表情をしている。
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日本プロ野球に革命をもたらせたウォーリー与那嶺、
彼は2月28日、故郷のハワイで
静かに85歳の生涯を終えた。

慎んでご冥福をお祈りします。

最後にウォーリーの偉大な足跡二つと
自分自身の思い出を補足する。

1.読売巨人というよりか川上に追われた与那嶺。
  後にライバルの中日を率い、巨人の10連覇を阻止した。

2.1994年は彼にとっての記念すべき日!
  日本の野球殿堂の一員として名を連ねた日だ。
  アメリカ国籍を持つプロ野球人数多活躍する中で
  殿堂入りは与那嶺さんただ一人である。

3.1960年、ウイリー・メイズ、マッコビー、セペタを擁する
  サンフランシスコ・ジャイアンツがやってきた。
  後楽園球場の一戦を従弟と共に観戦した時
  代打に出た与那嶺さんは測ったようにレフト前に打ち返した。
  3塁、ショート、レフト、まさに中間地点に落とした打球、
  与那嶺さんらしい渋く巧い打撃だった。

読売ジャイアンツの背番号7、
それは私にとっては与那嶺さんである。
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by shige_keura | 2011-03-09 08:45 | スポーツ | Comments(0)
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