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輝きはわずか10年!
ゴールデンウィーク明けの新聞、
スペインが生んだ英雄の死を伝えていた。

彼の名前はセべリアノ・バレステロス、
享年54歳は如何にも早すぎる死である。

人々が真のプロフェッショナル・アスリートに望む要件は何か?

それは結果としての素晴らしい成績だけではなく、
そこまでに至る強さをどのように発揮するのかにあるのだろう。

これを、故山口瞳さんは
”離れ技”という言葉で表していたと思う。

相撲に例えれば、初代若乃花の呼び戻しであり、
栃錦の左上手出し投げであり、
”離れ技”こそが名人の持てる資質と言っていた。

セべを名人と言う表現は
少し違うなという気もするが
見せるゴルファーとして言うならば
彼ほど土壇場での”離れ技”を発揮した男は居ないだろう。
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唯一、セべに匹敵するのはアーノルド・パーマー位ではないだろうか。

両者を良く知るジーン・サラゼンはこう言っていた。

プロゴルファーをプレーボーイタイプと
ノンプレーボーイタイプのふたつに分けるとすれば
前者の代表がパーマーとセべであり
後者の筆頭が二クラウスとトム・ワトソンである。

又、サラゼンはこうも言っていた。

パーマーのゴルフは”Go for broke"であり
セべも若干緻密だがそれに近い。

”Go for broke”を表す適当な日本語はなんだろうか?

「当たって砕けろ」、「イチかバチか」とでもなるのか?

但し、両者は”当たって砕けない”、
”奇蹟を現実のものにする”、
言わばこれも”離れ技”と言って良いのだろう。





セべが最初に世間の度肝を抜いたのは
1979年の全英オープン、
彼、弱冠22歳の初優勝の時だ。

最終日、優勝争いの16番、
セべのティーショットは
大きく右に曲がって臨時駐車場にある
1台の車の下で止まった。

車移動の救済処置を得たセべは
グリーンは全く見えぬベア・グラウンドから
ピン4メートルにパーオンし優勝を手繰り寄せた。

翌年、マスターズ初優勝も彼の”離れ技”から生まれた。

最終日の17番、ティーショットは大きく左にフックし
林を超えて隣の7番ホールのラフに止まった。

誰しもが天才青年の優勝争い脱落を思った。

ところが、彼はそこから何と、バーディを奪ってしまった。
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破天荒なスペインの若者、
何が何でもピンを狙う活きの良さ
ファンはセべのプレーに酔いしれた。
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「二クラウスはパット、俺は飛距離、
 ゴルフの神様は誰にでもひとつの弱点を与える、
 セべ・バレステロス以外は」

これは、当時の実力と人気を兼ね備えたプロ、
リー・トレビノの言葉だ。

1974年16歳でプロデビュー、
’78、’79年、日本オープン連続優勝、
’79,’84、’88年全英オープン優勝、
’80、’83、マスターズ優勝。

向かうところ敵なし、若き獅子セべ、
10年間の輝きが余りにも大きかったからこそ
’90年以降、腰痛に悩まされたからの
凋落が余りにも寂しい。

2008年、50歳の時マドリッド空港で倒れ
悪性脳腫瘍の診断で入院、
4度の手術も実らず帰らぬ人となってしまった。

スペインはセべ以降、ホセ・マリア・オラサバル
神の子、ガルシア等のヒーローを生むが
スケール感では彼の足元にも及ばない。

まさにセべ・バレステロスは
スペインの孤高の星と言えよう。
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あの、魅力溢れた人懐こい笑い顔が懐かしい。
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by shige_keura | 2011-05-11 09:20 | スポーツ | Comments(0)
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