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中年夫婦は何故いない?
ずっと疑問に思っていたのだが
若干バカバカしい気持ちもあり黙っていた。

ところが、つい先日読んだ向田邦子さんのエッセイに触発され
私の長い間の疑問を明かすことにしよう。

向田さんのエッセイ、「父の詫び状」の中、
「あだ桜」の項の初めを紹介しよう。

「お伽噺というのは、大人になってから読むほうが面白い。
 手許に、古本屋で見つけた昭和10年の尋常科用
 小学国語読本巻三があるので、開いてみる。
 ”一寸ボフシ

  オジイサン ト オバアサン ガ オリマシタ
  子ドモ ガ ナイノデ カミサマ 二 オネガイ シマシタ。
  男ノ子 ガ ウマレマシタ・・・・・・・”

  ここまで読んでドキリとする。
  一寸法師の母親はおばあさんだった・・・」

そう!! 何故、日本のお伽噺には
働き盛りの父と母がでてこないのだろう???

誰でもが知っている「桃太郎」の冒頭、

「オジイサンは山に芝刈りに
 オバアサンは川へ洗濯に・・・・・
 すると、上流から大きな桃が、ドンブラコ・・・・・

 桃を切ると中から桃太郎が・・・・・」
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ここでも、桃太郎の肉親(?)は
オジイサンでありオバアサンなのだ。



「こぶとり爺さん」しかり、「花咲か爺さん」も同じ、
「かぐや姫」だって、”竹取りの翁”の娘である。
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何故、「昔々、あるところにオジサンとオバサンが居ました」が無いのか?
どうしてすべてが「オジイサンとオバアサンが居ました」になるのだろう?

昔の日本には、子供が授からないままに
爺さん婆さんになってしまった夫婦がこんなに多いとは????

何か特別な理由があるのだろうか?

向田さんはこのことに関して突っ込むことをせず
さらりと彼女の説を紹介している。

「日本のお伽噺は、いずれも、オジイサンとオバアサンと赤ん坊であり
 老人たちと身近な動物たちのメルヘンである。

 血気盛んな壮年男女は殆ど姿を見せていない。
 従って、外国のお伽噺のように
 美しいお姫様と凛々しい騎士のロマンスは皆無だ。

 そのせいか、異形の者が登場し、SFや超能力、
 裏切りから人殺しまで行われても
 さほど凄惨な感じがしない。

 実に恐ろしいはなしが多いのだが、
 ”昔昔あるところにオジイサンとオバアサンがいました”
 という、お決まりの語り口の中で、
 生臭い血の匂いは消えてしまうのだろう」

彼女の説には半分賛成だが疑問も感じる。

何故なら「舌切雀」のお話からは
十分に血の匂いを感じてしまうし、
葛籠を開けた途端に飛び出す妖怪変化は
想像するだに恐ろしく気持ち悪かった。

「花咲か爺さん」だってそうだ。

何も意地悪爺さんだからと言って
土の中からあんなに酷いものを出さなくたっていいじゃないか。

その一方で、年老いた爺さん、婆さんを主人公にすることで
確かにお話のトーンは優しさを増すことは事実だと思う。

しかし、二人の年寄りと
授かった子供の年齢差を推測するに
何故かしっくりとしない気持ちとなるのは私だけかしら??

現代との平均寿命の違いだけでも説明できそうもなく
なんだか良く分からないのである。

「昔々或るところに中年の夫婦が居ました。
 二人は想いとは裏腹に子宝に恵まれませんでした。

 そこで、二人は一生懸命本を読んだり、
 医者に行って相談したりしました・・・・・」

これじゃ、お伽噺にならないじゃないか!!!

尚、本ブログは都合により”チョッコシ”お休みをいただき
6月中旬より、”装いもそのままに”
再開しますので再会しましょう?
ややこしいわ!!
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by shige_keura | 2011-05-30 20:33 | その他 | Comments(0)
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