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エリート・アンパイア逝く
高校野球、夏の大会は愈々佳境!
プロ野球ペナントレースも白熱の度を増してきたこの頃、
8月17日付新聞は、ひとりのアンパイアの
逝去を伝えていた。

平光清、享年73歳、
試合中断のときは審判室で
うまそうに紫煙をくゆらせていた人に相応しい
肺がんに因る逝去である。

この人については
私生活、審判としてのジャッジ、
何かと風評が絶えなかった。

その中でもよく言われたのが
巨人びいきのジャッジである。

この件について、私はジャッジできない。

しかし、多くの審判を見てきた中で
平光さん程、最もスタイリストにして
野球を愛した審判はいなかったのではないだろうか。

小学校1年生から野球にのめり込んだ私、
「格好良いなー!」と思わせた審判が二人いた。

一人は国友正一であり、
もうひとりが今日の主人公、平光清、
共に、当時としては珍しい
インサイド・プロテクターを着用した審判である。

ただ、恐らくは生まれ育ちから身に付いたであろう
スマートでダンディーなスタイルは
平光さんに勝る審判は居ないに違いない。





平光さんは慶応幼稚舎から
義塾大学へ進んだ典型的な慶応ボーイである。

彼は、幼いころから野球が大好きだったのだが
高校のころから選手としての自分に見切りをつけ
大学時代は野球部のマネジャーとして
歴史に残る、早慶6連戦の死闘を
ベンチから見守っていた。
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在学中から審判の勉強に没頭し、
1959年、21才の時に
高校野球、福島大会の審判長を務めている。

卒業後、日本通運に入社するが
4年間の勤務の傍ら
高校野球、東京六大学野球、都市対抗野球
それぞれ異なった組織での審判を務めた。

これだけの経験を積んだ審判は
平光さん、ただひとりである。

1965年、セリーグ審判員として採用されるやいきなり1軍デビュー、
4月13日には早くも球審を務めている。

セリーグの主力審判として活躍後、
1968年からは審判員交流制度の下
パリーグの試合のジャッジも務めている。

エリート審判の道を歩んだ平光さんだが、
54歳の年にあっさりと審判を辞めてしまった。

このきっかけとなったのが、
甲子園で行われた阪神対ヤクルト戦での
八木選手の幻のホームラン事件だ。

3-3で6時間26分、
プロ野球最長試合と今でも記録されているこの試合、
八木選手の当たりがフェンス上のラバーに当たりスタンドに入った。

この場合、当時のルールは明確な規定が無く
ただ、その時の審判の判断に任せるだけだった。

この時、一旦、本塁打と認めた平光さん
何を思ったのか判定を2塁打に覆した。

おさまらないのは、勿論、阪神である。

監督からの長い抗議の末、
26分間の中断を挟み
2塁打として試合が再開された。

当時の監督、中村さんはこう述懐している。

「あれは覆してはいけない判定で
 平光さんもそれには気づいていた。

 しかし、彼に、”僕は今年限り審判辞めるという条件で
 この試合を再開してくれないか?”と
 言われてしまってはね・・・・・」

最後に、「鬼に金棒、巨人に平光」とまで言われた
彼と巨人との因縁を紹介しよう。

時は1974年、7月9日、
場所は川崎球場の、大洋対巨人戦のことだ。
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巨人の打者、河埜選手に対するファウルとの判定に
激高した当時監督の川上さんに対し
胸を突いたとして毅然として「退場!!」を
宣告したのが平光球審だった。

               (平光退場宣言の瞬間)
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川上哲治、彼の37年間のプロ人生において
唯一の退場の汚名が付いた瞬間である。

メジャー通であった平光さん、
旧態然とした日本の審判界にあって
突出した改革推進派であったが故に
周囲との摩擦、衝突も数多かった。

当時、ストライクゾーンが広いと批判された平光さんだが、
今となって振り返ると、
これも将来の打高投低時代を見越した
スマートな先見性があったのだろうか。

               (マスターズリーグで塁審を務める平光さん)
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プロ野球審判を辞した後も
引退選手の集うマスターズリーグで活躍した平光さん、
今頃は、あの世で片膝をついたユニークなスタイルで
大好きな野球のジャッジを続けているに違いない。

昨今のプロ野球の審判、
名前の知らぬ人ばかり。

審判ばかり目立ち過ぎるのも良くないが
高校野球より技術が劣ると言われるようでは
昔の名物アンパイアの方々が嘆いておられるであろう。
by shige_keura | 2011-08-18 17:34 | スポーツ
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