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山中日記 -夏休みの学習 その1-
-夏休みの学習 その1- 「真夏でブルブル」

子供の頃の夏休みの思い出のひとつと言えば
絵日記、自由研究等の宿題だ。

ふと気がつけばヒグラシが“カナカナ”と、
もの寂しく夏の終盤を告げ、
その一方で、宿題は未だ前半のままにほったらかされている。

「まずいぞ! これは!!」

こんな経験を全ての御同輩諸氏は持たれていることと思う。

孫たちと共にここで過ごす生活は
遠い昔の自由学習の記憶を思い起こさせてくれた。

ここは山中湖から富士吉田への道すがらに有る「富士レーダードーム館」。
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以前からドームが目立つ建物の所在は知ってはいたが
訪れたのはこの地としては珍しくも太陽がジリジリと照りつける今日、
8月17日が初めてだった。
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この時は、まさか30分後に、
寒さに震える体験をするとは夢にも思わなかった。






日本は自然災害の多い国、
中でも昭和30年代は毎年、
台風に因る甚大な被害に悩まされていた。

気象庁としてはこの被害を最小に抑えるために、
より正確なレーダー建設を検討し、
その候補地を南の洋上、鳥島に絞った。

ところが、この島が折悪しく火山活動が活発化し
鳥島レーダー設置は断念せざるを得ず、
新たな候補地探しは難航した。

この時、気象庁の中から
富士山頂への設置という突飛なアイデアが浮上した。

当初、財源を担当する大蔵省は
夢想物語として取り合わなかったが
気象庁の熱意に負けて、この計画を承認した。

このとき、気象庁でレーダー計画の一員として
深く係り合いを持っていたのが、
後の直木賞作家、当時の気象庁職員だった新田次郎である。

工事開始は昭和38年6月、
延べ9,000人を要した大工事は
1年3か月後の昭和39年9月に完成した。

過酷な気候条件の中での難工事、
中でもレーダードームの覆いは
気流の悪い上空の中、
ヘリコプターで釣り上げて山頂に設置すると言う、
まさに決死の荒業の末に完了した。

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ここ、「レーダードーム館」では当時の歴史的背景、工事の進捗と共に
最初に設置されていた様々の計器を観察することが出来る。
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そして、入館者にとってのひとつの呼び物が、
5月中旬の富士山頂の様子を体感できることだ。

風速15メートル以上の中での零下5度は
体感に置き換えると零下10度を優に超える。

特別室に入ると正面の空気吐き出し口から
猛烈な風が冷気を含んで放たれてくる。
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怖がり屋の兄は母にしがみつき、2度と入らぬと宣言した。
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一方、怖いもの知らずの弟は上機嫌、
もう一度入ると強硬に主張し富士山頂の寒さを再び楽しんでいた。
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外からその様子を見ていた兄は母にこう言った。

「僕も、もう一度はいろうかな?」。
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「何! 又、入るのかい!!、又、ブルブルかい!!!」

二度三度、寒さを体験し外に出ると灼熱の太陽は未だ緑の野原に降り注いでいた。
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数分前の凍える思いをした
富士山頂体験が懐かしい。
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by shige_keura | 2011-08-23 16:33 | | Comments(0)
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