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山中日記 -夏休みの学習  その2-
夏休みの学習  その2、 「道者の宿」

“富士は日本一の山――――”、
我が国のシンボルというべき富士山への登山ルートは四つある。

静岡県側に富士宮、須走、御殿場、
そして山梨県側の富士吉田である。

中では富士吉田ルートが最も親しまれている。

具体的に数字をあげると2010年、
7,8月に富士山に登った人の数は320、975名で、
登山ルート別の人数は次の通りだ。

富士宮ルート    78,614名
須走ル―ト     48,196
御殿場ルート     9,845
富士吉田ルート  184、320

このように登山者合計の6割近くが富士吉田口から日本一の山を目指している。

その主な理由は古くから富士山信仰の玄関口として
繁栄を極めてきたことに有るのだろう。

富士山は古来より噴火の猛威を振るう火山として
人々に畏敬の念をもって崇められ、
神仏が住む霊山として山岳信仰の対象とされてきた。

そのため、繰り返す噴火を鎮めるために
浅間大神を祀ったのが浅間信仰の始まりとされている。

富士山の山頂が富士山本宮浅間大社奥宮神社の
境内となっているのはその表れである。

富士山信仰は時代と共に一般に深く浸透し
江戸時代後半には富士講として隆盛を極めた。





              (富士吉田の大鳥居より仰ぎ見る早春の富士山)
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富士吉田市中心から浅間神社の方角に伸びる道路に立つと
真正面に富士山を仰ぎ見ることが出来、神々しい姿に感動する。

その昔、富士山に登拝する人を富士道者と呼び、

その人々を泊めるための宿坊が
御師(おし)と言われる宗教者によって提供されていた。

江戸時代から明治にかけての最盛期には
1キロ足らずの道路の両側に60を超える宿坊が多くの登山者を迎い入れていた。

そして、今でも富士吉田の地には
15ほどの宿坊が営まれている。
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ここ、御師宿坊、「旧外川家住宅」は
観光者に対して往時の様子を伝えている。
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奥行き80間にもなる長大な短冊形地割の屋敷地に建てられた宿は
主屋と奥座敷の二棟で構成され宿泊者用に10の座敷を備えている。
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この建物の特徴は廊下の幅が異様に広く、
縁の下の高さが、これまたやけに高い事に有る。
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これは座敷だけでは到底、
宿泊者を迎い入れることが出来なかったので
廊下、縁の下に茣蓙を敷いて宿泊の便宜を図ったことだ。
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また、この宿坊の建設は
18世紀後半の明和5年(1768)と極めて古いにもかかわらず
往時の模様をほぼそのままに留めている貴重な歴史的建造物である。
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飽きると思われた孫二人も
クイズ形式の建物紹介にすっかりはまりこみ
嬉々としてた屋敷内を動きまわっている。
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建物内に書かれていたり彫り込まれている模様を
見つけ出すのがクイズの主な内容だ。
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中でも下の孫がクイズを解くために
脱兎のごとく走り出した問題がある。

「この建物の門のそばに“オッパイ”に似たモノが付いていますがどこにあるでしょう?
 大きいのと小さいのがあります」。

この問題を聞くや否や下の孫は
「小さなオッパイ、大きなオッパイ」と連呼し、門に向って走っていった。

遠くから「オッパイ見つけた!」
満足そうな声が聞こえたのはそれから30秒後の事だった。
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「やれやれ、どうなっているのだか・・・・・」。
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最後に二人は富士登山の格好をしてご満悦、
今日の絵日記の中身は濃いだろう。
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by shige_keura | 2011-08-27 10:19 | | Comments(0)
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