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山中日記 -汲めども尽きぬ野球の話題 後篇-
子供の頃、ファンレターを出した、
たった一人の野球人が居た。

その人の名前は永野元玄(モトハル)。

当時、東京六大学野球、慶応の捕手を務め
”ゲンゲン君”の愛称でスマートでハンサムな風貌は
特に女性ファンに親しまれていた男だった。

男性の私は永野選手に好感を持っていたとは言え
熱烈なファンとまでは言えぬ存在だった。

にもかかわらず、何故、ファンレターを出したのかと言うと
次のような訳がある。

そのころ、一緒に住んでいた従姉妹の一人で
熱狂的な永野ファンだった彼女が盲腸炎で入院してしまった。

私は何か彼女の喜ぶものをお見舞いにと考えているうちに
思い当たったのが永野選手からの便りだった。

往復ハガキを購入し、
早く返事が来るようにと
祈るような思いで便りをしたためた。

数日後、永野選手から返事をもらった私は
それこそ、飛ぶように三田の済生会病院に向かった。

思いもよらぬ、あこがれの君からの便り、
葉書を持つ彼女の手は震えているようだった。

これでも私は結構心優しい少年だったのだ。

さてさて、ニュースウオッチで堅田審判が紹介したボールは
星陵対松山の死闘18回、
当日の球審を務めていた永野さんから貰ったものだった。

そのとき、永野さんは堅田投手にこう語りかけながらボールを手渡した。

「堅田君、もう一度甲子園球場を良く見ておきなさい」。

その時のボールの感触、そして甲子園球場の景色、
それらが忘れられぬ思い出となって松下電器入社後、
堅田さんを高校野球の審判として甲子園に導いていくこととなった。

ボールを手渡した永野さん、
当時を述懐してこう語っていた。

「試合後、どうしても堅田君と話がしたかった。
 手渡したボールはサヨナラになったときのボールでは無く
 試合中に使っていた他のボールです。

 試合が決まったボールを渡すことは
 自分の思い出とも絡めて、むごくて出来ませんでした」。

永野さんの思い出の試合とは1953年、夏の甲子園決勝戦、
彼は土佐高校の中軸バッターで正捕手として
松山商業と戦ったときである。

このとき、土佐高校は2対1のまま9回裏、
2死、2ストライクまで松山を追い詰めながら
思っても見ない同点を許してしまう。

結果は延長13回、2対3と松山の軍門に下った。

(松山商業決勝点の瞬間、捕手は永野さん)
c0135543_206192.gif

「優勝旗のない優勝校」、
その時土佐高校に送られた最大級の賛辞である。

               (地元へ凱旋した準優勝、土佐高校)
c0135543_2071282.jpg

しかしながら、永野さんは忘れたくても忘れられぬ苦汁をそのとき味わった。

9回裏2死、2ストライク、次の球を打者はファールチップ! 

その球は永野さんのミットを弾き地面に落ちた! 

「あの時、何故、あれが取れなかったのだろう」。

エラーとして記録に残っていない、
が、しかし、永野さんには自分のミスであるとの自責の念が残った。

甲子園のほろ苦い思い出が
いつまでも永野さんの胸に残り消えなかった。





永野さんを知る誰もが言う。

「彼は正義感にして心優しい人、
 そして審判技術も秀でていた」。

春、夏甲子園、決勝戦の球審として求められる資格要件とは、
「卓越した人間性と球審として十分なる技術」である。

永野さんは慶応卒業後住友金属勤務の傍ら
懐かしの甲子園に審判として戻ってきた。

彼が決勝戦を球審として裁いたのは
春、夏合わせ10回の多きにのぼる。

永野元玄さんだからこその勲章だ。

永野さんは慶応時代、
2年上で私が敬愛する藤田元司さんとバッテリーを組んだ。

               (巨人入団直後の藤田さんの華麗なフォーム)
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永野さんの優しい心根と意志の強さが現れた場面があった。
c0135543_9572659.jpg

1955年の秋、優勝を賭けた早慶戦、
1回戦で敗戦投手となった藤田さんは2回戦にも先発出場した。

しかし、序盤で藤田さんは早稲田の砲火を浴び失点してしまう。

3塁側ベンチから阪井監督が出て
球審にピッチャー交代を告げようとした時、
永野さんが監督の前に立ちはだかり一心不乱に話しかけた。

その顔は尋常でなかったと言う。

それもそのはず、彼は監督に必死に懇願した。

「監督、藤田さんにとって最後の早慶戦です。
 ここは続投させてあげて下さい」。

セカンドから主将の佐々木信也も駆け付けた。

思っても見ない事態に球場は騒然とした雰囲気に包まれた。

その間、藤田さんはマウンド上で
淡々として事態の推移を眺めていた。

2年生の分際で監督に直談判した永野さん。

学生スポーツではまさに異例の出来事!

結局、監督は投手の続投を了承、
奮起した藤田さんは蘇り、
打戦は爆発して逆転勝ちに結びついていった。

しかしながら、悲運のヒーローの代名詞が定着したのが次の決勝戦、
1対1のまま延長にもつれ込んだ試合、
藤田さんは森徹の決勝スリーランを浴びてしまうのだ。

ニュースウオッチ9、
堅田さんはこのようにも語っている。

「永野審判から話しかけられた時の想い出は忘れられません、
 ですから、今回私は極力選手たちとスキンシップを持とうと試みました」。

堅田さんの思いは
必ずや高校球児に伝わったに違いない。

今年も甲子園は多くのドラマを描き出してくれた。

そして白球の取り持つ縁で
次のドラマが生まれてくるだろう。

藤田元司、永野元玄、堅田外司昭、大越健介、
そして、あいつも君も僕も・・・・
みんな日が暮れるまで白球を追いかけまわした。

そんな青春時代を皆が持っていた。

野球ってやつは、なんで、こんなに面白くて、哀しくて
楽しくて、忘れられぬものなのだろう。
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by shige_keura | 2011-08-26 08:51 | スポーツ | Comments(2)
Commented at 2011-09-10 17:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ささやん at 2015-08-02 03:40 x
はじめまして。貴ブログを拝見し、一部を引用させていただきました。もし不都合なことなどございましたらお知らせください。今後ともよろしくお願いします。
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