11月の国立劇場、歌舞伎、
近松門左衛門の演目がふたつ。 ひとつは人間国宝にして文化勲章受章の 坂田藤十郎の名声を確立した「曽根崎心中」だ。 1953年、当時23歳の若さの中村扇雀(現・藤十郎)が 250年ぶりに上演された「曽根崎心中」で 天漫屋お初を演じ、その名を全国に轟かせた。 以来、1,300回以上も演じてきたのだから これぞ、坂田藤十郎の十八番と云わずしてなのだ!!! 歌舞伎には全く詳しい知識のない私でさえ 藤十郎の演技には引きづり込まれていった。 今年、80歳になるとは思えぬ身体の動き そして、廓のお女郎の情念を描き出す艶っぽさ! ちょっとした仕草、顔の表情の変化、 この役者さんは本当に凄い! さて、今日のテーマは もうひとつの演目、「日本振袖始」である。 これは、神話の世界で有名な、 素戔鳴尊(すさのおのみこと)と 八岐の大蛇(やまたのおろち)の戦いを題材にした 恋と戦いの大スペクタクルものである。 劇中の両者の対決は 大蛇に扮する8名の役者の息もピッタリ! 金の鱗と漆黒の腹、真っ赤な舌の大蛇が 舞台狭しとうごめく様は息をのむばかりの素晴らしさだった。 このお芝居の中で、素戔鳴尊が 大蛇の生贄にされる稲田姫の熱病を癒す為、 着物の両袖の脇を切り裂いたのが 振り袖の起源であると紹介されている。 実際には、振袖の起源は室町、桃山の時代に遡る。 当時から振袖は子供、女性の為の着物だったが 振袖と云う言葉は無く、袖も短く 実用的なものであった。 近松門左衛門は「日本振振袖始」(享保3年、1718)の中で 振袖について次のように紹介している。 「日本は日の神の国であるから陽気盛んで暖かい。 故に日本に生まれる者は 16の夏までは両袖の下を開けて(脇明け) 熱を逃がし涼しさを享受する。これ、無病延命の効果なり」 即ち、振袖の脇を開けることは 大人に比べ体温が高く、動き回って熱も出しやすい、 子供の体温を一定に保つための工夫であり、 実用的な着物として開発されたものだった。 江戸の初期に描かれた「春秋遊楽図」を見ても 踊る女性の桜花を散らした振袖の丈は短い。 江戸時代が進み、世の中が贅沢になるにつれ 振袖は次第に非実用的で装飾的意味合いを深めていく。 その過程で、袖の長さも徐々に長くなっていった。 元禄年間(1661-1673) 約65センチ 宝暦年間(1751-1764) 約90センチ 今でも、女性は結婚すると振袖と無縁になるが それは昔の慣例、即ち16歳で脇を開けるのを辞めることから来ている。 今日は舞台も面白かったが 意外なことを知ることとなった。 だから、古典芸能は面白いのだ。
by shige_keura
| 2011-11-14 08:30
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