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元祖七福神巡り  -五重塔今昔ー
左手に、東京で唯一残る
「本当の富士見坂」を通り過ぎる。
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都内に数ある「富士見坂」、
昔は見えた富士山の姿が、今は殆ど見えなくなってしまった。

「本当の富士見坂」の意味は
ここ谷中富士見坂のみ、
富士山が今でも見ることが出来るからである。
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右手の横町に見えるのが「観音寺の錬り塀(ねりべい」)、
今から200年ほど前に造られた土塀で
瓦と粘土を交互に積み重ねて造ったもので
徳川時代の邸宅や寺院に用いられていた。
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寿老人を祀る長安寺は小さな寺、
長蛇の列で靴を脱がねば拝めない。
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ここは夫婦の意見は即一致、
お手軽に「遥拝」で済ませる。
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東京スカイツリーを遥かに仰ぎ、
谷中の墓地を突っ切っていくと五重塔の跡地が目に入る。
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この地に五重塔が造られたのが天保元年(1644)、
高さが約34メートル、関東一の高さで
上野の山からお江戸の町を睥睨していた。





ところが、明和9年(1772)、
いわゆる「明和の大火(火元目黒行人坂)」で焼失した。

繰り返すが、目黒で起きた火災によって
上野のお山の五重塔が焼失!

江戸時代においては、
如何に火事が恐ろしき災害であったことか!!

五重塔の再建が成されたのが寛政3年(1791年)、
「上野寛永寺」、「浅草浅草寺」、
「池上本門寺」と合わせ江戸四塔と謳われ、
特に谷中の五重塔は日本一美しい塔として賞賛をあびていた。
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更には、幸田露伴の同名の小説「五重塔」で
知らぬ人がなき存在となっていった。

ところが、事件が起きたのが昭和32年(1957)。

突如、五重塔から火の手が上がり
見る見る内に火は燃え広がり
美しい塔は瓦礫と化してしまった。
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焼け跡からは男女の死体が発見された。

調査の結果、56歳の妻帯者と
22歳のお針子の放火無理心中と判明した。

炎に包まれる五重塔を
おっとり刀で駆け付けた幸田露伴の娘、文は
言葉も無く茫然と眺めていたと言う。

いつの世にも人騒がせな連中が居たものだ。

七福神巡りはどうなった??

次なる目的地、毘沙門天の天王寺が目に入ってきた。
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続きは明日。
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by shige_keura | 2012-01-18 09:00 | | Comments(0)
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