Top
ツワモノどもが夢のあと (2) -ひ弱な温室育ち-
人影の見えぬ球場、
グラウンドは良く手入れがされている。
c0135543_17341959.jpg

こんな良い日に・・・・・ 勿体ない。
c0135543_17375877.jpg

55年前の初夏の一日、
2軍戦とはいえゲームは緊迫していた。
c0135543_17352576.jpg

とは言え、巨人の相手がどこか?
どのような選手たちが躍動していたのか??

覚えている選手はたった2名だ。

ひとりは、巨人の先発投手、
国松彰、のちに打者に転向し、
V9時代、いぶし銀の働きをした選手だ。

その日の国松投手は
長身の左腕から投げおろす速球が冴えに冴え
相手チームは手も足も出なかった。

だから、彼の1軍での好投を信じて疑わなかったのだが・・・・・

この日、ラッキーと思ったのは
怪我で2軍調整中の柏枝選手が
4番で3塁を守っていたことだ。

彼は与那嶺、広田に続き
1953年にハワイから入団した日系人、
小柄ながら左右に打ち分けるバッティングは頼もしかった。

僅か3年半のみの滞在でハワイに帰ってしまったが
その間の通算打率0.301が
彼のプロ選手としての有能な事を物語っている。

               (左から、柏枝、川上、千葉)
c0135543_17293122.jpg

あまり知られていない話だが、
柏枝文治選手は1955年、巨人軍第23代4番打者を務めている。

もっとも、たった2試合限りではあったが。

この日の2軍戦でも、
柏枝選手は左中間に痛烈な当たりを飛ばしていた。

               (与那嶺選手)
c0135543_1737949.jpg

ただ、当時、私が不思議に思ったのは
ハワイから来る選手、与那嶺、広田、柏枝、
何故、皆が皆、同じような顔をしているのかということだった。
               (広田選手)
c0135543_17321067.jpg







この球場は巨人2軍の本拠地であったと共に
川上、千葉、ON現役時代に
1軍の練習場としてチームのレベルアップに貢献した。

一例を挙げよう。

この球場の唯一の弱点が水害の影響だった。

特に1974年、1982年は台風の被害の為
3週間から1ヶ月間グラウンドが使用不能となった。

両年とも巨人は終盤戦、
中日とペナントを争っていたが
結果的に2位に終わったのも
グラウンドが使用できなかったことが影響している。

1999年以降、よみうりランドに完備された施設に移り、
目の前のグラウンドは国に返還された。

よみうりランドのグラウンドは
屋外は勿論、室内も整備され
他球団の垂涎の的となっている。

しかしながら、不思議なことに
巨人の成績は施設の整備と反比例している。

よみうりランドの施設ならば
雨が降ろうがヤリが降ろうが
何の影響もなく、好きなだけ練習に励むことが出来る。

にもかかわらず、成績はパッとしない。

恵まれ過ぎた環境が
今のモヤシのようなひ弱な選手たちを生んだに違いない。

土手の道路わきには
かつて、長嶋、王等が寛いだ小池商店が
今なお営業を続けている。
c0135543_2137681.jpg


               (初代小池商店で寛ぐ長嶋選手)
c0135543_17411623.jpg

               (おでんの品定めをする城之内投手)
c0135543_17424261.jpg

お店の親爺は今の巨人をどう思ってるのだろうか?
さぞかし、頭から湯気を立てて怒りまくっていることだろう。

ジャイアンツよ、土に帰れ! 多摩川に戻れ!!

さて、今日の真の目的地はここではない、
その場所は、ここから多摩川を挟んだ右岸にあるのだ。
               (向こう岸の右岸、かすかに目的地が見える)
c0135543_17445691.jpg

続きは明日、
[PR]
by shige_keura | 2012-04-15 17:45 | スポーツ | Comments(0)
<< ツワモノどもが夢のあと (3)... ツワモノどもが夢のあと (1)... >>



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
→過去のブログを見る


ホームページ 



LINK 


LINK FREE

このブログの写真・テキストの無断使用はお断りします。

(c) 2007 shige_keura. All rights reserved.