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ツワモノどもが夢のあと (4) -名もなき工場の栄冠-
レース終了後、日産自動車社長、鮎川義介は激怒した。

周りからも優勝確実と言われ、
本人も信じて疑わなかった勝利がさらわれた。

それも、義介にとっては歯牙にもかけぬ
小さな町工場、「オオタ自動車工業」に負けたのだ

オオタ自動車工業の創設者、
大田祐雄は茨城県の出身、彼は21歳で上京、
芝浦製作所で工作技術を身につけた。

5年後、独立した彼は
巣鴨に大田工業を開業し
日本のモータリゼーションの夜明けの中で働いた。

神田に工場を移した大田は
1919年水冷4気筒エンジンとシャシ―を完成
ボディ架装なしで東京―日光間をドライブした。

1922年、最初のオオタ車、
試作車「OS号」(OHV4気筒、965cc)完成も束の間
翌年の関東大震災で大きな被害を蒙ってしまう。

やむなく大田はたった1台の「OS号」を
個人タクシーとして使い、来るべき日に備えた。






1923年に設立された
「日本自動車競争倶楽部」の発起人のひとりとなった大田は
1930年、神田岩本町の工場で
本格的小型四輪車の生産に取り掛かった。

               (晩年の太田祐雄)
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1933年、748cc N-7型、897ccー N-9型の市販を開始、
当時の従業員数、わずか15名の零細企業だった。
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それでも大田は自動車レース出場の意欲満々、
3人の息子をドライバーとして
第1回全日本自動車競走大会に出場した。
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参加した車は2台、743cc、23馬力、400キロの車両重量、
小型車クラスではファクトリーのダットサン(日産)を圧倒
見事、優勝し並みいる人々を驚かせた。
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さらに、臨んだアメリカ車などと争う
大型排気量車との混合レースでも
10台中5台がリタイアする中
見事4位で完走した。
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オオタ自動車工業栄光の陰で
二人の男が悔しい思いを噛みしめ
捲土重来を深く心に誓った。

二人は、その時、将来自分達が
栄光ある「アメリカ自動車殿堂」に入ることなど
夢にも思っていなかったことだろう。

続きは明日。
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by shige_keura | 2012-04-17 08:45 | スポーツ | Comments(0)
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