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ツワモノどもが夢のあと (7) -もう一人の父-
日産の名車、フェアレディZの父が
片山豊であることは周知の事実である。

しかし、名車誕生の陰に、もうひとりの父が居た事、
そして、彼が片山豊と深い因縁にあることは余り知られていない。

その男とは、多摩川スピードウエ―で行われた
第1回の大会でハンドルを握り
アット言わせる優勝を飾った
太田祐雄の長男、祐一なおである。

彼は父の血を強く受け継いだ
モータースポーツに命を掛けた男だった。

日中戦争の激化に伴い
オオタ自動車工業はモータースポーツに専念できず
三井財閥に株式を売却し、
航空部品製造会社に事業を転換していった。

祐一は車への夢が立ち切れずに退社、
帝国自動車工業に入社、
「くろがね4輪」の車体設計を担当した。

1947年、祐一は独力で
「ワイドフィールド・モーターズ」を設立、
進駐軍兵士のスポーツカーのチューンアップ、車両改造、
更にトヨタ、ダットサン車のオープンカー架装を手掛けた。

ここで祐一は第1回大会のライバル、
日産の片山豊と再会する。




1952年、片山豊(当時、日産の宣伝課長)の依頼で
太田祐一はスポーツカーの車体デザインを手がけた。
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それが、ダットサンスポーツDC3、
後のフェアレディの源流となった
美しいロードスターモデルだった。

1955年、祐一はワイドフィールド・モーターズを
日産専属の試作工場、アルファ・モーターズに改組、
ダットサンスポーツ1000を手掛けたあと、
フェアレディ1200のデザインを担当した。
               (ダットサンスポーツ1000)
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               (フェアレディ1200)
c0135543_1726205.jpg

更に、1962年祐一は日産に乞われて入社、
プロトタイプの設計や試作を手掛け
同社の発展に貢献した。

最晩年は伊豆に隠棲し
仏像彫刻に専念しながら
日本のモータースポーツを静かに見つめていた。
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祐一がこの世を去ったのが1998年
それは、あの多摩川スピードウエーの栄光の日々は
歴史の彼方に消え去ってしまった頃の事だった。
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太田ファミリー、片山豊、本田宗一郎、弁二郎兄弟、
「ツワモノどもが夢のあと」、モータースポーツの聖地は
桜花が満開の中、ひっそりと静まりかえっていた。
c0135543_17283817.jpg


「ツワモノどもが夢のあと」、参考資料・画像
・Wikipedia 「多摩川スピードウエー」
・国土地理院
・Yomiuriinline サーキット徒然草
・フェアレディZ ストーリー
・K’s Meeting Hamamatsu
・Wikipedia 「太田祐一」
・その他
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by shige_keura | 2012-04-20 08:47 | スポーツ | Comments(0)
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