24日、昼をまわった刻限、
祇園周辺の店を物色しながら歩いていた時、 突然、その建物は目の前に現れた。 「東華菜館」、北京料理を売りにした店なのだが 何故か、私はこの店の所在地は神戸と勘違いしていた。 「えっ、なんだ! 東華菜館は京都にあったのか!!」。 これで自動的に昼食の場所は決まった。 何故ならば、この建物の中に 大田区とは所縁の深い会社が作り 今や日本最長寿となった文明の利器が稼働しているのだ。 その文明の利器とはエレベーター、 メーカーはオ―チス社、 今でも世界シェアナンバーワンを誇る優良企業である。 (近代エレベーターの父、エリシャ・オ―チス) オ―チスの父、エリシャ・オ―チスと二人の子供が 近代エレベーターの三要素を確立したことで ビルは高層化し、人間の生活様式を変えていくことになった。 (1854年、第2回万博で非常停止装置を発表し 満場の拍手喝采を浴びるオ―チス) 三要素とは、非常停止装置、電動化、 そしてギアレス高速装置、を意味している。 (1889年エッフェル塔にオ―チスの水圧式エレベーター導入 今でも、当時と同じ構造のエレベーターが脚の中を運行) オ―チスの開発した文明の利器の波は 文明開化の日本に当然の如く入ってきた。 1896年(明治23)日本銀行本店を皮切りに 1901年、大阪日本生命本社 1911年、東京、白木屋本店(デパート第一号) (白木屋にエレベーターが導入時) 1912年、東京、三井銀行本店 1914年、東京、三越本店、浅草、凌雲閣(通称十二階) (当時、東京のシンボルとなった凌雲閣) そして1924年、由緒ある東華菜館の建物に オ―チスエレベーターが設置され、 今では日本最長寿として日夜働き続けている。 手動式による運転、鉄格子の中扉、 半円形のフロア・インジケーター等々、 実に懐かしい香りいっぱいのエレベーターである。 その後、オ―チス社は三井物産と合弁で 東洋オ―チス社を立ち上げ蒲田に工場を構えた。 これは、日本の国産エレベーター会社優遇策の 関税引き上げに対抗する窮余の一策だったのである。 東海道線脇、約5,000坪の土地に レイモンド設計事務所が担当した 東洋一のエレベーター一貫製造工場は世間の注目を浴びた。 全面ガラス張り、温風暖房機、洋式トイレ、スプリンクラーを装着、 当時の日本としては考えられぬ近代的建物だった。 更に、横幅48メートルに及ぶネオンサインは 東海道線で通う人々にとって異採を放つ存在だった。 戦争の荒波をくぐりぬけた東洋オ―チスは 今、日本オ―チスと名前を代えて 日本初代の高層ビル、霞が関ビルのエレベーターをはじめ 多くのエレベーターを納入し活躍している。 本社、オ―チスの活躍は更に目覚ましく、 ドバイの世界最高峯ビル、「ブルジュファリファ」に 世界最高スピード(分速1,000メートル)のエレベーターを納入している。 文明の機器、日本の近代化を促進した 最長寿エレベーターが今も古都でひっそりと息づいている。 最後に、この東華菜館の北京料理、 懐かしい古典的な味!! まさに雰囲気にぴったり!!! 心地よい時間を過ごした。
by shige_keura
| 2012-04-30 18:15
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