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「修身」の主人公
「修身」とは字のとおり”身を修めること”、
その昔1890年の教育勅語発布後、
1945年の敗戦まで、小学校の筆頭科目として存在していた。

大戦直後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から
修身を軍国主義教育と見做された為
道徳教育と姿を変えていった。

修身には模範とすべき人物が何人か出てくる。

その筆頭が、二宮金次郎である.

だからこそ、私の小学校のころには
どこの小学校にでも、金次郎お決まりの像を
見かけることが出来たのである。

さて、現在、国立劇場で行われているお芝居も
修身に出てくる人物を主題としている。

その人の名前は塩原多助、
演目は、通し狂言「塩原多助一代記」である。





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塩原多助、御同輩諸氏にとって
名前を知らぬ人はいないだろう。

しかし私にとっての多助さんは
愛馬、「あお」との哀しい別れのほかは
殆ど知識のない人物だった。
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今回の通し狂言の原作は
江戸・東京落語の大名跡、三遊亭園朝の人情噺。

落語の主人公に修身のモデルを取り入れるとは!

流石、怪談をはじめ
様々な工夫を高座に取り入れた
名人・園朝だからこその着想である。

彼はこの噺を仕上げる為、明治9年、
多助の出身地、群馬県・沼田に赴き
1カ月もの取材を行った。

2年後噺は完成し高座にかけるや否や大人気をよんだ。

遂には明治24年、井上馨邸にて
明治天皇の御前で口演するに至った。

翌年の明治25年、
五代目、尾上菊五郎により歌舞伎座で上演された。

今回、多助を演ずるのは坂東三津五郎
真面目で勤勉な主人公を折り目正しく演じていた。

塩原多助は群馬の沼田から江戸に出て
炭屋での真面目な奉公ぶりが買われて独立、
本所に店を出した。

律儀な商いぶりに加えて、
それまで無かった秤売り、
炭の粉を丸めて炭団として売り出すなどの
商才にも長け大成功を収めた。

「本所には過ぎたるものが二つあり
 津軽屋敷に塩原多助」

これが、当時盛んに詠われた言葉である。

何故なら、多助は商売で大成功しても
おごらず、たかぶらず、清貧な生活を送り
私財を通じて道路改修、治水に努めた。

だからこそ、修身の主人公のひとりに選ばれたのだ。

いずれにせよ、私にとっては
塩原多助の人間像を知る意味でも
興味深いお芝居だった。
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by shige_keura | 2012-10-12 08:45 | | Comments(0)
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