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Remember Dai・Rake
つい先日国民的大女優であり
国民栄誉賞を受賞した森光子さんが亡くなった。

慎んで御冥福をお祈りいたします。

森光子さん逝去の報に接した時
子供のころに見ていた或るテレビ番組を思い出した。

それは、「ダイラケのびっくり捕物帖」、
大阪テレビが製作した初の全国ネット番組で
東京では1957年から1960年まで
日本テレビで放映されていた。

ダイラケとは当時、関西の人気漫才、
中田ダイマル・ラケットのことで
2人が目明しとしてドタバタを繰り広げる公開喜劇だった。

目明しの上司となる与力、来島仙之助に扮したのが
テレビ初登場の藤田まことだった。

森光子さんは関西でデビューしていたものの関東には初見参、
与力、の妹、妙となって全国に名前を知られることとなった。

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既にこの時、彼女は37歳の筈なのだが
それが信じられぬほど初々しく可愛かった。

ところが、このお妙さん、腕は滅法強く、
悪党どもをばったばったとなぎ倒す。





ストーリーは毎度同じのワン・パターン。

ダイ・ラケの目明しが犯人を追いつめるが、
肝心な時に、二人はからきし意気地が無い。

犯人の逆襲で危機一発、
思わず二人で声を揃えて、「お妙さーん」。

ここで何処にいたのか、森光子扮するお妙、颯爽の登場、
あっという間に犯人はお縄につく。

この過程で兄の与力は全く影が薄い、
相当な剣の遣い手だと思うのだが、まるで覚えていない。

ともかく、番組の冒頭でも
ダイ・ラケと森光子3人が登場するのだから
彼女は主役、藤田まことは脇役としての扱いを受けていた。

森光子さん主役と言っても
所詮この番組はダイ・ラケの絶妙のコンビネーションに支えられたものだった。

ダイ・ラケコンビは捕物帖終了後、
「すちゃらか社員」で全国的にブレークする。
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ミヤコ蝶々の女社長の下、
ダイ・ラケが中年の無気力社員になり、
「定年までボチボチいきまひょか」が喝采を浴びた。

但し森光子さんはこの番組には全く係っていない。

私自身も「すちゃらか社員」の思い出よりも
何故か「ダイラケのびっくり捕物帖」の方を良く覚えている。

それでは捕物帖が面白かったのかと言うと
それほどのものではなかったと記憶している。

ならば、今でも覚えているのは
初々しかった森光子さんに因るものなのか?
それは、今となっては謎である。

それにしても、このようにテレビにかじりついていたのだから
勉強をする暇が無かったわけである。
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by shige_keura | 2012-11-19 08:45 | | Comments(0)
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