神田明神下とくれば昔は銭形平次だった。
捕物帳の双璧が、 岡本綺堂の「半七捕物帳」と 野村胡堂の「銭形平次」だ。 神田明神下に世話女房のおしずと住む銭形平次、 子分の八五郎を従えて犯人を追う。 ハイライトは懐から取り出した銭を投げつけ 悪党をやっつけて事件解決となる。 映画では長谷川一夫、 テレビでは大川橋蔵が当たり役で大活躍した。 今、その面影は神田明神境内の 銭形平次石碑にのみ見ることが出来る。 さて、明神下のビルが立ち並ぶ外堀通り、 ビルとビルとに挟まれた古い家屋、 ここが本日の主役、茂兵衛の鰻の「神田川」である。 ことの始まりは文化2年(1805)、 幕府の賄い方を務めていた三河屋茂兵衛が御家人株を売って、 現在の万世橋近くで「深川屋」の屋台で鰻商売を始めた。 明治維新後、現在の土地に店を構え 名前も店主の母方の出身地(相州神田村)と 名字の宇田川に因んで「神田川」と名乗った。 その後、大震災、東京空襲で2回に渡って全焼、 現在の建物は昭和27年(1952)に再建されたものだ。 現在の建物の歴史は60年ではあるが 鰻屋の歴史は200年を超す大老舗なのである。 11月24日のお昼、店の玄関には 「本日は予約のお客さまで一杯」の札が掛っていた。 「予約しておいて良かった!!」 玄関を上がると正面に鰻の掛け軸、に鰻の絵馬、 廊下の突き当りには茂兵衛さんの前掛け、 雰囲気を感じながら個室に通された。 座敷にあつらえたテーブル席、 庭に見とれうちにお通しが出てきた。 焼き銀杏、小エビの刺身に、山芋のすりおろしにイクラを散らせた三種、 ぬる燗というよりも日向燗に近い超ぬる燗、 嘗めるように飲むこと30-40分。 白焼き、肝焼き、うな重が順序良く運ばれてきた。 白焼きの身は柔らかながら 皮はパッリとして香ばしい仕上げ、 南千住の名店、「尾花」とは違う趣だ。 「尾花」には何故かメニューにない無い肝焼き、 ここは売り切れ御免で供している。 数に限りがあるのも当然で 1本の串に7,8匹の鰻が必要なのだ。 嬉しい事に見た目ほどタレが甘くなくアッサリしているので 益々、食欲が湧いてくる感じとなる。 愈々「鰻重」の登場。 これまた、辛めであっさりとしたタレ、 程良い柔らかさに蒸し上がった鰻とピタリ! 全てが「あれっ」と驚くほど、すんなりと腹に収まった。 「神田川」の鰻、誠に結構!! 近いうちに又、行きたくなる名店であることは間違いない。 食後の腹ごなしに神田明神への階段を上るとしよう。
by shige_keura
| 2012-12-03 08:38
| 食
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