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天才を繋ぐ糸  −1−
未だに、つい先日の訃報が信じられない。

12月5日、明け方の悲報、中村勘三郎さん死去。

この報せを呆然としながら聞いたとき、
ふとある人の顔が思い出されてきた。

二人は住む世界は違うが
本当の天才だと思う。

真の天才とはたゆまぬ努力、稽古を糧にして
親から譲られた天賦の血を開花させた者に
与えられるべき称号だと思う。

しかし、時として神は冷酷な仕打ちを振るう。

天才に許された理不尽な程の短い命、
それは本人にとって悲運なことはいうまでもないが、
吾等、凡人ファンにとっても残念至極、切歯扼腕の想いとなる。

古今亭志ん朝、既に落語界を背負っていた逸材が
この世を去ったのが2001年、63才の若さだった。

勘三郎・57年、志ん朝・63年の生涯、
それは大輪の花が開くには、余りにも短すぎたものだった。

落語界の巨星が落ちてから11年
今また、歌舞伎界の大立て者が去っていってしまった。

二人の訃報から得た似通った喪失感、
その背後に何があるのかを探ってみたい。





先代であり父・勘三郎が初の男子である
勘九郎のちの勘三郎を授かったのは46才のときのことだ。

古今亭志ん朝は次男とは言え、兄とは10歳年下、
父・志ん生48才のときの末っ子である。

二人の父にとって晩年に授かった男の子、
それこそ、「目の中に入れても痛くない』存在だったはずだ。

稽古は父としてではなく師匠として、先代として
厳しく仕込んだことは知られているが
基本的に自分たちが味わった辛酸は子供達には舐めさせたくなかっただろう。

先代。第17代中村勘三郎は
江戸時代(1895年)以来、絶えていた
中村勘三郎の名跡を1950年に復活させる。

しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。

出身と血筋が絶対の梨園の世界で
第17代の出身は決して恵まれたものではなかった。

更には一時とはいいながら松竹から東宝への移籍で招いた軋轢、
そこを乗り越えたのは彼が持つ類い稀なる芸歴の幅の広さだった。

女形から始まって荒事、世話物、なんでもござれ、
生涯通算800役はギネスブックに登録されたほどだった。

古今亭志ん生が極貧の生活を
通称、「なめくじ長屋」で送ったのが20代の後半だった。

悪いことに、当時の実力者三升家小勝にたてつき
破門同然で落語界から放り出され、
講釈師として僅かながらの食い扶持を維持せねばならぬ日々が続いた。

彼にツキが回ってきたのが戦後のこと、
漸く余裕が出てきた世間の目は
今まで聞いたことも見たことも無い
志ん生の喋りに魅了されていった。

彼の裏に存在する血の滲む稽古の気配は微塵も見せぬ自然体は、
折目正しく定石に則った桂文楽に対し
天衣無縫の古今亭志ん生とまで評されるようになっていった。

この頃、彼の型破りな行状、
例えば、高座途中で眠ってしまっても
「志ん生じゃしょうがねー」とまで許されるようになったのである。

二人の父親は目一杯の愛情を子供に注ぎ込んだことだろう。

志ん朝、18代勘三郎に共通する、
「優しさ」、「人懐こさ」を発散させる坊ちゃん気風、
それは父からの深い愛情によって育まれたものだと思う。

以下、次のブログに続く。
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by shige_keura | 2012-12-18 12:57 | | Comments(0)
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