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天才を繋ぐ糸  −3−
二人の天才を直接繋ぐ糸は無かったのだろうか。

古今亭志ん朝は落語について深く語ったことはないし
ましてや自分の芸を語るのを好まなかったようだ。

その点では、若い頃から落語論を書きまくっていた
立川談志とは対極に居た人だと思う。

「何故落語が面白いか?」 と聞かれて、
「そりゃ、タヌキが出て来るからですよ」とトボケていた程だから。

つまり、自分の芸を語ることは「野暮の骨頂」と考えていたのだろう。

その志ん朝が落語の一端、芸談をある人物と対談中に語った。

何とその時のお相手が中村勘三郎(当時勘九郎)だったのである。

時は2000年頃、対談中の「文七元結」の件の会話、
ちょっと長くなるが紹介しよう。

(Sは志ん朝、Kは勘三郎)
K あとで、金も娘も返って来ると、もう角樽の酒飲んで騒いでいる、
  というふうなのが長兵衛(文七元結・主人公)だと思う。

S そうです

K でも円生師匠のだと、人を助けていいことをした。
  酒も博打もやめて、いいお父つあんになるって聞こえる。

S 非常に真面目な好みですね。
  テメエの娘を吉原に置いてきた、
  それで得た金を人にやれる訳がねえ、という人もいるけれど、
  しかし長兵衛はやっちゃう人なんですよ。
  娘はたとえ泥水につかっても死なねえが、
  おめえは今死ぬって言うからやるんだ、
  という、単純な割り切りね。

K うちの親父にしろ、お父様にしろ、あの場合だったら
  絶対、金投げ出しますよね、発作的だから。

S そう、こまっけえところにすごく細かくて
  でっけえところになると発作的になる。もうひとつ深く考えてないんだよね。
  しかしいいねえ、こんなこと言ってられるんだから、われわれの商売は。

K アハハ、ほんとだ。

S 楽しいじゃないですか、人間を追求して、突き詰めて・・・・・、
  結構な生業ですな。








実に興味溢れる会話ではないか。

勘三郎は、あの落語の大看板・三遊亭円生と比べ
父そして志ん生を発作的だと評している。

私なりに翻訳してみると、
ここでの発作的とは、より感性豊かと読み替えられるのではないか。

その部分の才能が、父達の活躍していた当時は
異端、異能と言われていたのだと思う。

先代・勘三郎は団十郎、幸四郎、松緑と比べ
又、志ん生は文楽、正蔵、円生達と比べ
突出した何かを感じさせる役者であり噺家だったように思える。

いずれにせよ、先人、自分たちの親に照らした自分の考え、
杯を酌み交わし楽しげに語り合う天才二人の顔が浮かぶ。

同席することはとても叶わぬが、
出来ることなら、隣の部屋から話を聞いてみたかった。

恐らく、この対談は1998年TBS落語特選会にて
古今亭志ん朝が語った白眉の一席、
「文七元結」が俎上に上ったことで話が弾んだのであろう。

このときの高座は落語通の京須さんによると
志ん朝自身、数少ない満足いく出来だったと言う。

それは志ん朝没してから7年後の2007年、
満を持したかのように中村勘三郎は新橋演舞場にて
「人情噺文七元結」を披露した。

あくまで想像の域を出ないが
あの対談のときの想いが勘三郎の心をかきたてたのだろう。

山田洋次監督の手による
1年後のシネマ歌舞伎となった「人情噺文七元結」、
盟友の坂東三津五郎、息子の勘九郎を相手に
勘三郎は伸びやかに表情豊かな長兵衛を魅せてくれた。

それは、彼自身語ったところの
父親譲りの発作的な至芸だった。

東京に戻ったら、志ん朝師匠のDVD、「文七元結」を鑑賞し
二人の天才を偲ぼうとしようか。
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by shige_keura | 2012-12-20 09:27 | | Comments(0)
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