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緊迫の春  -後日談-
大田区の名所のひとつが洗足池である。
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もともとの地名は千束池だった。

名前の由来もちゃんとある。

この池の豊富な水は、
この地の農作物栽培育成に大きく貢献した。

その為、この地の住民は
稲、千束分の税が免ぜられたのが
「千束池」の名前の発端である。。

その後、この地と縁の深い日蓮聖人が
旅の途中、この池で足を洗ったとの言い伝えから
千束池から洗足池に名前を代えたのである。

さて、慶応4年(1868)4月9日
勝海舟は松濤園に赴く途中、
洗足池の畔の茶店でひと休みした。

最大の悲劇、江戸の町焼失を免れた勝の胸は
洗足池の深山の趣で一層癒されたに違いない。
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いたく、この地を気にいった勝海舟は
農学者であり津田塾創始者・津田仙の仲立ちで
明治24年(1891)茅葺の別邸を設け「洗足軒」と名付けた。
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西郷隆盛も幾度か洗足軒を訪れ、
二人で日本の将来を語り合ったという。





二人の友情を物語る碑がここにある。
               (鳥居の左側に見えるのが留魂碑)
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碑の名前は「留魂碑」、
西南戦争で倒れた西郷隆盛を悼み
海舟が私財で作ったものである。
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碑名は西郷の漢詩、「獄中有感」の中の言葉、
「願留魂護皇城」に由来する。
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碑のすぐ隣にあるのが
勝海舟夫妻の墓である。
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海舟の文字は徳川慶喜のものとされている。
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晩年はこの地で晴耕雨読の毎日を送った勝海舟、
明治32年(1899)、77歳でこの世を去った。

生前、富士を見ながら土に入りたいと語っていた言葉通りに
墓は洗足軒裏の小高い丘の上に築かれた。

あと2-3週間もすれば桜の季節、
池上・洗足池周辺は春爛漫の景色に包まれるだろう。

二人の足跡を辿りながら
池上本門寺、松濤園、洗足池めぐりも楽しい散策になる。

尚、勝海舟の最期について付け加えよう。
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明治32年1月19日、風呂上がりでブランデーを飲んだ勝は
脳溢血を発症し倒れ、その2日後に息を引き取った。

最期の言葉は「コレデオシマイ」だった。

と、いうことで、「緊迫の春」も”これでおしまい”
by shige_keura | 2013-03-09 16:56 | その他
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