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4度目にして初体験 -過去の3度は?-
入学と言えば学校に入ること、入社と言えば会社に入ること、
共に人生の節目での御目出度い出来事である。

しかし、これが入院となると、
「オメデトウございます」とは口が裂けても言えぬ。

3月11日から16日まで、5泊6日、
我が人生4度目の御目出度くない体験を味わった。

今日から何回かに渡って
「我が闘争」ではなかった「我が闘病」を紹介しよう。

最初の入院は30歳を過ぎた頃、
慢性化した虫垂炎の為のものだった。

手術後の痛さ、そして病院食の酷さが身に沁みた。

続いては1984年、この時は難儀だった。

なにしろ、入院したのがイタリアのミラノ郊外だったからだ。

病名は「急性A型肝炎」、原因は生貝に因るもの、
全くもって食いしん坊にとって油断も隙もない。

この時は、入院直前の40度まで達する高熱と
激しい吐き気と食欲の喪失に苦労した。

ただ、入院してからは熱も下がり
あとはゆっくり休養し回復に努めるだけ、
3週間もの入院生活をのうのうと味わった。

「のうのうと」と表現したが
全く苦労が無かったかと言うと、そんなことはない。






ミラノ赴任後半年後の出来事、
イタリア語が解せぬ私にとって
今、どのような状態かが逐一分からぬことは不安だった。

何しろ、ミラノは日本人は私だけの独りオフィス、
頼りになるイタリア語堪能の方の住まいはローマだった。

日本で例えれば、東京と大阪ほども離れている。

毎朝の看護婦さんとの会話(にはなっていないが)、
最初に覚えた単語がエスクリメント、便通だった。

私が全く分かっていないと判断した彼女は
くるりと後ろ姿となり、その部分に手をやってパーッと開いた。

なかなか見事な表現力だった。

もうひとつは、今となってはお笑いなのだが、
肝炎は伝染性が極めて強いとされ完全隔離、
面会者との面談もガラス窓越し、インターフォンを通じて行われた。
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部屋は4人部屋、私以外の3人は全て若者、
イタリア、ミラノのイケメン・トリオである。
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となれば、うら若きイタリアのキュートな女性面会がひきもきらず、
四六時中窓越しで「ピーチク・パーチク」の賑やかなこと。
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読書中の私としても、活字に目が入らない、
だって、男なら窓越しのクラウディア・カルディナーレ、
ジャクリ―ヌ・ササ-ル、ピア・アンジェリに目が行くのが当然だ。
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しまいには、男女は窓越しにガラス窓に「チュッチュ」の連続、
悪い事に窓際ベッドの私、目のやり場に困りましたな--。

3度目が一昨年、90%以上前立腺ガンと告知され
手術前の事前検査の為の入院だった。

麻酔なしでお尻の穴から12発もの鍼を打ちこまれ
各部所の組織を回収し手術に備えるものだった。

痛みも相当に伴ったが出血の酷さに参った。

1週間後の担当医師の宣告、
彼は実に軽い口調でこう言った。

「あっ、こりゃガンじゃないや、単なる炎症だ、
 良かったね」

思わず、私は頭を下げ、「有難うございます」と御礼を言った。

しかし待てよ、この場面は御礼を言うべきなのだろうか?

何しろ、手術の翌日、自分の顔を鏡で見てショックを受けた。

「これが俺か??? 酷いツラしてるじゃないか」

何で、あれだけ痛い目に遭わなきゃいけなかったんだよ、
あんたが検査するなんて言い出したんだぜ。

しかし、ここで私は冷静になって考え直した。

もしも、検査をせずにいきなり手術で切開したは良いが
どこにもガンはいなかった、これじゃ余りにも救われぬ。

ガン細胞が無かった! 最高の結末だった!!
素直に感謝の気持ちを表わせば良い。

そして、今回4度目の入院となったのだが、
これには70年近い人生の中での深い因縁があるのだ。

続きは次回。
by shige_keura | 2013-03-22 08:38 | その他
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