「決着」にわざわざ「おとしまえ」とルビを振ったのは
フランス・ギャング映画の傑作、 「マルセイユの決着(おとしまえ)」を真似たものだ。 小学校3年の時の頃だから、今から60年ほど前、 私は相当なる蓄膿症(副鼻腔炎)に悩まされていた。 特に冬場の12,1,2月は通院してから登校する日が 週の内、何日かあったと思う。 通院の目的は主に鼻の洗浄、 さもないと、頭が重苦しく身体までだるくなってしまうのだ。 治療を終えて学校へ着くのは10時過ぎ、 教室に入っていくのは結構恥ずかしい気持ちになったものだ。 総合病院、専門病院と渡り歩いても症状は変わらず、 そうこうしているうちに、4年生の冬を迎えた。 その日、三田の済生会病院で治療を終えた私の前で 外科部長と担当医が小声で話している声が耳に入った。 「この状態では、根本治療はメスを入れるしかないでしょうね」 「そうだなーーー、だけど、小学校4年生だろ、 この手術は大人でもきついからなーーー、 可哀そうだな---」 当時の私だって意味は分かる。 正直、私は恐怖で心が震えた。 家に帰っても、この話題を自分から持ち出す気にはなれなかった。 何時、言われるのだろう? 鼻にメスが入って切り開かれる!! 落ち付かぬ日々が続いたが、 結局何も起こらなかった。 病院と両親の話し合いの結果の手術回避だったのだろう。 これが、結果的に大成功。 5年生以降、体力もついてきたのか 蓄膿症に悩まされるどころか あの辛い日々は幻だったのだろうと思えるようになった。 とは言え、私の体内には蓄膿症という厄介者は潜んでいた。 同時に私には鼻中隔彎曲症の問題がついて回っていた。 誰しも鼻の骨は綺麗な一直線ではないが、 私の場合、極度に左に彎曲しているので 左の鼻腔の通りが極めて悪かった。 下の図で例えれば最も左のC字彎曲である。 務めて鼻の悩みは忘れているようにしていたのだが、 2年ほど前から異変を感じるようになった。 嗅覚の衰えが日に日に進行してく気配が感じられた。 1年前の日赤病院・耳鼻科、 鼻の穴を覗きこんだ担当医はこう言った。 「あなたは慢性副鼻腔炎で鼻中隔が相当変形してますね。 左の鼻腔の方は空気が殆ど通っていません、 おまけに、特に右の鼻腔の匂いを感ずる部分に ポリープがかぶさっていたて、このまま進行すると 嗅覚を完全に失うことになりますね」 抜本治療の手術を恐れた私は救いを投薬治療に求めた。 何故なら、たかが鼻の手術に全身麻酔、 しかも入院は1週間に及ぶと言うからだ。 「この時点の投薬治療は 問題の先送りになるかもしれませんね」 担当医のその時点での言葉は当たっていた。 症状は改善するどころか 昨年末より悪化していくようになった。 嗅覚の喪失、老人には不気味だ、 ガス漏れにも気がつかない、 消し忘れでの焦げ臭さも感じない。 火事でも引き起こしたら、私ひとりの問題ではなくなる。 こうして、8歳の時からまとわりついた問題に対し 最終的な「オトシマエ」をつける気になったのだ。 「やってやるぜーーーー! 覚悟しやがれ!! おめえとは、これで金輪際おさらばだー!」 続きは明日以降、
by shige_keura
| 2013-03-23 18:31
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