戦後の日本の競馬は貧困と混乱の中で立ち上がった。
どの厩舎もどうやって生活を成り立たせるか、悩みは深かった。 そんななかで、誰もが目をつけたのが 丈夫で長持ち、管理しやすいアラブ馬である。 サラブレッドはもともとの値段がアラブより高いし、 繊細で怪我しやすいので厩舎経営にとってはリスクが高かった。 ここで、日本のサラブレッドとアラブの生産頭数推移を見てみよう。 1971年 1975 1997 2000 2012 サラブレッド 6,000 12,000 8,300 8,000 7,000 アラブ 14,000 12,000 2,000 680 9 サラブレッドの生産も漸減傾向を示しているが アラブの凋落ぶりは甚だしいく 現在の生産は無きに等しい。 私が、競馬場に行き始めた1960年代末、 中央競馬でもアラブ馬のレースは行われていたし 地方競馬(公営)ではアラブ馬のレースが主流を占めていた。 アラブ馬の凋落の原因は主に二つ、 1)日本が豊かになったこと 2)サラブレッドのレースの方がスピードが合って面白いこと ここで、漸く主役の福山競馬場とレッッゴ-カップが登場する。 福山競馬場が産声を上げたのは1949年だが 1967年にユニークな制度を取り入れた事で名前を知られるようになった。 それは、日本で唯一のアラブ馬専門の競馬場とした事だった。 ユニーク性で話題を撒いた福山競馬場だが アラブ馬の生産が激減したことで方針を変えざるを得なくなった。 2005年、サラブレッド競走を導入、 2009年にはアラブ馬だけの限定レースも幕を閉じた。 以来、スピードに劣るアラブ馬が サラブレッドに交じってコースを走り始めたが とてもとても太刀打ちできるはずもない。 そしてアラブ馬は1頭減り、2頭減り 遂に残った1頭がレッッゴ-パークのみになってしまった。 3月23日、レッッゴ-パークの引退レース、 お別れとあって3番人気に祭り上げられた主役だが 10頭立ての10着に敗れ競争馬としての使命を終えた。 (後方の芦毛がレッッゴ-カップ) 日本の競馬歴史の中でのアラブ馬、 その凋落を象徴するかのようなフィナーレだった。 そして、3月24日、 今度は福山競馬場自身が幕を閉じる日が来た。 中国地方で唯一残っていた福山競馬場は アラブ馬の消滅と共に60年に渡る歴史の幕を閉じた。 かつてはアラブの怪物の名をほしいままにし サラブレッドとも互角に戦ったセイユウ、 野武士を彷彿とさせるアラブ馬の活躍、 今や時代の流れに押し流され消え去ろうとしている。
by shige_keura
| 2013-03-30 09:08
| スポーツ
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