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鎌倉・戸塚急ぎ旅 -名匠二人-
墓銘には一文字、「無」と彫り込まれている。

当時、達筆の氏と言われた
円覚寺・管長、朝比奈宗源の手によるものだ。
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墓の主は、小津安二郎、
黒澤明と共に世界で最も評価の高い日本人監督である。

彼は蒲田撮影所開設直後に入社、
ここで日本無声映画最大の傑作
「生まれてはみたけれど」が誕生した。
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その後、小津安二郎50歳の時
松竹大船撮影所で生まれたのが
最大の傑作、「東京物語」である。
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小津監督のテクニックを論じることは出来ない。

しかしながら、あの時代に日本の将来、
即ち、高齢化、核家族化を冷徹に見つめた眼力には敬服するのみだ。
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彼は「無」に何を託したのだろうか?

多くの映画関係者が様々な解釈を加えている。

真実はしかしながら分からない。

ただ、はっきりしていることは
「無」の言葉は彼が中国の南京の或る寺で知ったこと、
そして、小津さんの享年は60歳、
まだまだ、彼はこの時点で死を身近にとらえていなかったということだ。
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だからこそ、「無」の解釈は更に難しくなっている。






小津監督の墓にお参りして後ろを振り向くと
そこにある墓標には木下恵介とある。
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主に助監督を務めた蒲田時代、
木下恵介の大輪の花が咲くのは大船時代の事である。

36歳の時に手掛けた「大曾根家の朝」で絶賛を浴び、
そこから木下監督の快進撃は続いていく。

「二十四の瞳」、「野菊の如き君なりき」、
「喜びも悲しみも幾歳月」、「楢山節考」、「父」、
男性的な黒澤明とは対照的な
繊細で女性的なタッチに多くのファンは涙した。

御同輩の方々の多くは
小学校時代に学校から映画館に行った覚えがあることだろう。
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映画は「二十四の瞳」、瀬戸内海の小豆島、
風光明美で温暖の地で新任の女教師(高峰秀子)と
12名の小学生徒との哀しくも暖かな心の交流を描いた傑作だ。
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個人的には黒澤ファンの私だが、
木下映画の別格が「二十四の瞳」と「野菊の如き君なりき」である。

新人の有田紀子が志に反して
嫁に向かうときの覚悟を決めた表情。
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「野菊の如き君なりき」

モノクロの画面が魔法の様にカラーになったかのような
信州の空の青さ、雲の白さ、木々の緑、
そして野菊の可憐さ、はかなさ、
今の若い人もなにがしかの感動を覚えるに違いない。
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ふと見上げた目に山藤の紫色が飛び込んできた。
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続きは明日。
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by shige_keura | 2013-05-15 08:51 | | Comments(0)
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