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鎌倉・戸塚、急ぎ旅 -お花の工場 その2-
「是は利益を目的として工場を興すことではない。
 むしろ道楽仕事であるので他人には迷惑はかけぬ。
 すべて、自分の責任で行う仕事である。
 商売を度外視して”良きが上にも良きもの”を作り、
 イギリス、フランス、イタリア以上のものを作りだしてゆきたい」

これは孫兵衛が大倉陶園を興す時の存念、
本人は「遺訓」と言っている。

「道楽仕事」!、よくぞ言ってくれました。

更に、彼は続けた。
「蒲田の土地に工場と共に
 別荘の如きショールームを作る。
 周りには四季の花々が咲く花壇を設け。
 これぞ、美術館を思わせる大倉陶園である」
               (お花の工場、当時の大倉陶園)
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               (大倉陶園、ジオラマ一部)
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孫兵衛は、残念なことに
道楽仕事の最初の作品を見ることなく世を去った。
               (大倉陶園、初窯作品)
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しかし明治一代男のあとを継いだ
大正モダンボーイ、大倉和親は
父の遺志を継ぎ陶園を世界に冠たる会社に導いていった。
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やがて、大倉陶園は「お花の工場」と呼ばれ
蒲田の一画で、お隣の「黒澤タイプライター工場村」とともに
憩いの場所として愛されるようになった。

当時、大倉陶園を訪れた人は皆、こう言った。

「これが、工場だととても思えない。
 あたかもイギリスの田園に来たかのような気持ちを抱かせる。

しかし、近づく戦乱の足音、
太平洋戦争は大倉にも暗い影を落とした。

この苦難のさなかにもかかわらず、
大倉陶園は世間をアット言わせた。

それが、昭和天皇第一皇女・照宮親王ご婚儀のときの
食器揃え、36人用、683ピースの歴史に残る大作だ。
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戦前の大倉陶園の代表する作品として今の世に伝えられている。

激動の昭和が成熟した1960年、
大倉は住み慣れた蒲田から戸塚に引っ越した。
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以来早くも50年以上の年は流れても、
孫兵衛の「良きが上にも良きものを」の精神は今も変わらない。
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ツツジの花に囲まれたショールームと制作場はあくまでも上品だ。

きちんとした服装に身を包んだ社員が
黙々と制作に打ち込んでいる。

ピリッとした緊張感が部屋に張りつめている。
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ショールームに足を運ぶ。

戦前のオールド大倉作品から
モダンなデザインの現在の作品群、
そこには孫兵衛・和親の誇りと情熱が滲み出ている。
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鎌倉から戸塚への急ぎ旅、
充実に満ちあふれた1日だった。
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by shige_keura | 2013-05-20 09:30 | | Comments(0)
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