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怪童の思い出 ー前篇ー
甲子園で数々の名勝負を裁いた永野元玄さんの言葉だ。

「一番速かったのは、何と云っても江川ですわ、
 それも2年生の時が一番速かった。
 彼の速球はホップするので高めの見極めが大変、
 そのため、いつもよりコールが一拍遅れていましたね」
               (作新高校時代の江川卓)
怪童の思い出 ー前篇ー_c0135543_141433.jpg

ならば、永野さんが1961年の優勝投手、
尾崎行雄をジャッジしたならばどう言われただろうか?

甲子園を沸かせ、プロ野球界に震撼を与えた
尾崎行雄さんが6月13日亡くなられた
享年、68歳、慎んで御冥福をお祈りします。

先月末に体調不良を覚え今月7日入院
驚くべき早さで進行する肺癌による急逝、
いくらボールが速いと言っても、
こんな所にまで彼の特徴が表れるとは・・・・、
短いプロ野球人生と共に切ない想いがしている。

1961年夏の甲子園、
主役は間違いなくこの二人だった。
               (法政二高当時の柴田勲)
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かたや、前年夏の覇者、法政二高のエース、柴田勲、
こなた、雪辱を期す浪商の2年生エース、尾崎行雄。
               (浪商高校時代の尾崎行雄)
怪童の思い出 ー前篇ー_c0135543_14171051.jpg

両校行き詰る熱戦は延長戦にもつれ込み
最終的に4-2で浪商に凱歌があがった。

同年秋、柴田は読売ジャイアンツへ入団、
尾崎も高校2年で中退し東映フライヤ―ズに入団した。

翌年の二人のデビュー、
これほど明暗を分けたものも少ないだろう。






野球に詳しい方でも
尾崎(パリ―グ・東映)と柴田(セ・リーグ・巨人)が
同じ日にデビューしたことは忘れておられるのではないだろうか。

1962年4月8日、セパ同時開幕第2戦、
4万人を超える観客が後楽園で見詰めた巨人・阪神戦、
オープン戦の好成績を引っ提げて柴田は登板した。

しかしながら、1回並木、藤本に連続ホームラン、
序盤であえなくノックアウトされた柴田は
投手失格の烙印を押され野手へと転向していった。

このことが後に赤い手袋の異名で走りまくる
俊足のスイッチ・ヒッター柴田を生みだした。

後年、王貞治はこう言っている。
「柴田はいいよな、ノックアウトって言っても開幕第2戦で先発だよ、
 俺なんか、公式戦に投げさせて貰えなかったんだぜ」

同日、場所は新装なった神宮球場、
ホームチーム、東映フライや―ズは
ミサイル打戦、強打の大毎を迎え撃った。

さー、ここで質問です。

この試合に詰めかけた観客数はどのぐらいだったのでしょうか?

プロ野球の看板ゲーム・後楽園の巨人・阪神戦の観客が4万人、
ならば、神宮の東映対大毎日の観客数は?

以下、次のブログに続く。
by shige_keura | 2013-06-17 20:24 | スポーツ
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